2010年12月15日

溜息通りの画廊 - IV


 一歩溜息通りに出てみると、川から吹きつける風は身体を刺すような冷たさだった。悪天候に見舞われることもあろうかと念のために携えてきた黒革のコートが役に立ってくれた。それをはおって川岸に近づくと、しゅるしゅると、まるですすり泣きのような音が聞こえてくるではないか。この通りが溜息通りと呼ばれるのは、もしかすると川から吹き上げてくるこの風のせいではなかったのだろうか。

 ここを右に折れると旧市街でもっとも古いサン・ペドロ通りに出る。この通りを歩いていると16~17世紀にタイムスリップしたような気がした。左手に海のように広がるラプラタ川には、いまという時代を感じさせるようなものはなにもないのだ。少し先には、フランシスコ・ザビエル修道院の跡地があった。宣教師の守護聖人であるザビエルにちなんでそう呼ばれているが、これは、聖フランシスコ修道会によって設立されたものだった。厚みのある壁は小割りの片麻岩や黒雲母の乱層積みによるもので、ところどころに煉瓦が差し込まれている。この石積方法はオプス・インケルトゥムという紀元前2世紀ころのローマの建築様式だ。17世紀末に建てられたこの修道院が古代建築様式を用いたのも、植民地では調達できる資材や道具に限りがあったからではないだろうか。切り出された石は形を整えることもなく、そのまま変則的に並べられていたが、そのひとつひとつには祈りが込められているような気がした。ここでは、イエズス会と聖フランシスコ会の修道士によってインディオの改宗が行われていた。一部を残してすべてが崩れ落ちてしまった修道院の壁の横には、その崩壊を支えるかのごとく白い灯台が建てられていた。わたしは、修道院のアーチの下に腰を下ろし、午後の鈍い陽光ですっかり冷え切った身体を温めていた。

 「かつて、プラザ・マジョールでは奴隷売買が行われていました。ポルトガル人が連れてきた奴隷たちは船から降ろされ、鎖に繋がれたまま溜息通りの坂をのぼってこの広場まで歩いてきたのです」

 沈んでいく太陽の温もりのなかで、わたしは資料館の若者の言葉を思い出していた。奴隷たちはいったいどんな思いでここをのぼってきたのだろう。川岸に長時間繋がれていた奴隷たちは、川の水嵩が増すとそのまま溺死したのだという。もしかすると、あの通りの名は、彼らのまぎわの嗚咽のことだったのだろうか。 

溜息通りは、わたしにいろいろなことを連想させた。ヨーロッパでは中世からルネッサンスへと時代が移行し、海運技術や科学知識の発達から大航海時代が幕を開けた。新大陸の発見、東方への進出、領土の征服と通商交易、そしてルターやカルヴァンなどの宗教改革に対抗するように展開されたイエズス会の布教活動。このコロニア・デル・サクラメントはマドリッド条約締結によってスペインが手に入れたが、その代わりにスペインは、イエズス会の自治村(レダクシオン)のあったミッショーネスをポルトガルに割譲することになった。そこにいた先住民グアラニー族が武装蜂起することになったのはそのためだ。ヨーロッパの歴史地殻変動の波紋は、地震の津波のように南米にもおよんだ。地表の意識変動は、西から東、東から西へと、また北は南を、南は北をというようにさらに遠くにあるものを貪るように知ろうとした。あの時代の加速器にかけられてしまったひとびとは、もはやとどまるところを知らなかった。そして、すべてが調べられ、分類され、陳列されていったのだ。ひとつの場所、じぶんの生まれた場所にずっと留まることなどもうだれにもできなくなり、「未踏の地」であればどこまででも探っていくという試みが進んでいった。

夕刻が近づくと気温はさらに下がった。修道院の跡地もすっかり陰に隠れてしまった。わたしは、プラザ・マジョールのすぐ先にあるホテルにひと部屋取ることにした。スペインの植民地時代のまま保存されている白壁の建物の入口から廊下の奥をのぞくと、中庭のまんなかにはタイル張りの噴水が見える。庭に面した一室に案内され、なかに入るとさっそくブーツを脱いでベッドに横になった。朝から歩きっぱなしだったので疲れていたのだろう。噴水の音に耳を貸しているうちに、いつのまにか眠りこけてしまった。

三十分も眠っただろうか。そのあいだ、わたしは妙な夢を見ていた。ひとりの少年が舟に揺られながら川を下っている。大事そうに両手でなにかを抱えているが、どうやらそれはヴァイオリンのケースのようだった。少年は、急流のはずみで水に落とすまいと、そのケースをしっかりと抱きかかえている。ときおり、早瀬の音に混じって山鳥の鳴声が反響した。深い緑のあいまには木霊が潜んでいるかのようだ。見覚えがありそうな風景だったが、あれはいったいどこだったのだろう。噴水の音に誘われて見えない糸に手繰られていったのだろうか。ヴァイオリンの夢など見たのははじめてだった。そもそも、わたしは、まったくといって良いほどヴァイオリンとは縁がない。

 
 日没が近づいていた。陽が沈んでしまわないうちに、わたしはカルメン要塞の手前の桟橋まで行くことにした。夕陽を見るには、あの場所がいちばんだろうと思ったからだ。ホテルを出て、その裏手にある川沿いの通りを早足に歩いていると、ビニール袋を手に、川原でなにやら探しものをしている老人の姿が目に留まった。

 「お手伝いしましょうか」
 
 声をかけてみたが、老人は気づかなかった。わたしは、足もとに注意しながら大きな石をつたって水辺に降りてみることにした。

 「なにか、お探しですか」
 
 もういちど声をかけると、ようやくわたしがいることに気づいたようだった。老人はにこやかに微笑みながら、持っていたビニール袋の口を開げて見せてくれた。なかには銀貨が十数枚あった。

 「あの島を見てごらん。あれは、宝島なんだ。やつら、上陸する前にあそこに隠しておいたんだ。この川底にもまだどれだけ眠っているかわかりゃしない」
 
 老人は、すぐそこに浮かんでいる小さな島を指差しながらこう言った。

 「銀貨だけじゃない。ときには弾丸も見つかるんだ」
 
 なん百年も前に沈没した船の宝は、探しあてようとこの泥水に潜ってみたところで見つかりはしないだろう。けれども、長い年月をかければ、小さな波によってこうして岸辺に打ち寄せられることもある。船が沈んだ川底からわたしたちが立っているこの川岸まで、五百年という年月をかけて移動してきた宝ものが、いまここにいるひとりの老人のロマンとなっていた。
 
 ここではまるで時間が止まってしまっているかのようだった。そして、ここにいるひとびとも、もうすでにそれに気づいているかのように、ただ一日の終わりを静かに見とどけようとしていた。木造の桟橋の中央には鉄柱の古い街灯が並び、そのあいだにベンチが置かれていた。釣をするひとのほかには人影もなく、橋のなかほどでベンチに腰をかけ、わたしはしばらくのあいだ水面に映る空の移り変わりを眺めていた。蠢く社会からすっかり切り離されたこのコロニアの空にはどのような幻が描き出されても不思議ではない。老人が宝島と呼んでいるサン・ガブリエル島の上に灰色と橙色の雲がいく筋も流れてきた。そして、その小島の遥か彼方では、鉱石のように色とりどりの惑星や星たちが瞬きはじめた。この川を渡って良かった。ずっと前から、わたしのなかでは、「Cruzar el rio(その川を渡れ)」という声が聞こえていた。ただ、それが、どの川のことなのか、長いあいだわからなかっただけなのだ。