2010年12月24日

チェリモンターナの森 - II

  
 チェックインカウンターの前はがらがらに空いていた。預ける荷物は小型のスーツケースひとつだけだ。搭乗手続きと出国審査を済ませてゲートへ来てみると、出発時刻までまだ時間はたっぷりあった。ミミは、空港まで送ってくれるはずだったが、急用で来られなくなってしまった。来年サルタで開かれる展示会の打ち合わせが入ったのだ。いよいよ、ミミの絵が北部で展示されることになるわけだ。あのコンサート以来、ミミは、ミンモのCDを取り寄せてそればかり聴いている。とうとう本物のミケランジェロを見つけたのだと。そして、いつか、ミンモと共演してみたいと言うのだった。

 

 ローマ行きの搭乗アナウンスとともに機内に乗り込んだ。この便は、ブラジルの海岸線を北上した後、アフリカ大陸西岸に向かって大西洋を横断していく。渡った先はちょうどセネガルあたりだろうか。夜間飛行なので砂漠は見えないだろうとあきらめていたが、朝は意外と早くやって来た。仮眠した後で小窓をスライドさせてみると、水平線のあたりがオレンジ色に染まっていた。これから夜のヴェールが少しずつ開かれていく。この光景を見るたびにわたしはジョットの色を思い出した。なんともいえない純粋な色の世界だ。その下には肌色の大地が広がっていた。遥かかなたに見える地面は、想像していたよりも柔らかく穏やかな輝きを放っている。大陸を北上していくあいだ、ぼんやりと砂漠を眺めながら、わたしは考えごとをしていた。 広大な砂漠の面積に比べたら、この先にある地中海は小さな世界だ。けれども、深くサファイア色に輝くその海には、ほかのどこにもない不思議な魅力がある。なぜだろう。機体はサルデーニャ島からローマ上空へと迂回していった。北アフリカとは対照的にこの地は青々としている。そして、このなだらかな海岸は、外から入ってくるものを拒もうとはしなかった。砂漠の民にしてみれば、ここは天国のようなものだ。水を湛える土地というのは、それだけですでに聖なるものに違いない。
 
 空港から乗った電車からは夕陽に染まる遺跡や廃墟が見えていた。日没まではまだ時間がかかりそうだ。わたしは、ブエノスと逆の季節にいることを、気温ではなく日の長さで感じていた。その日のローマは夜になってもまだ暑さがおさまらず、湿度もかなり高いようだった。中央からはタクシーを拾うことにした。行き先は、知りあいが紹介してくれたあるカトリック修道会の宿泊施設だ。中心街の便利なところにあるのでよく利用している。外観はふつうの家と変わりはないが、なかに入ると中庭の回廊の壁にみごとなテンペラの宗教画が描かれている。わたしは、その奥の建物にある受付で部屋の鍵を受け取った。今回も、ひとりで泊まるにはちょうどよい広さの個室があてがわれていた。簡素なベッドのほかに勉強机と衣装棚があるだけで洗面所もいたってシンプルだったが、わたしには十分だった。

 食事は決められた時間に取ることになっていた。わたしは、さっそく食堂に降りてみることにした。まだだれも来ていない。いちばん奥のテーブルについてしばらくすると食事が運ばれてきた。メニューは豆のスープに子牛のソテー、それにサラダとパン。ワインも自由に注文できる。食事をしているとぽつりぽつりとひとが集まってきた。

 「ご旅行はいかがでしたか」

 顔見知りのシスターが声をかけてきた。

 「おかげさまで、つつがなく」

 「それは、なによりです」

 「あの、ひとつおうかがいしたいことがあるんですが」

 「なんでしょう」

 「ヴィラ・チェリモンターナというのは、ここから近いのでしょうか」

 「チェリモンターナなら歩いてすぐですよ。後で地図をさしあげましょう」 

 親切なシスターは、わたしの食事が終わらないうちに地図を持ってきてくれた。夜のローマにひとりで出かけるのは気後れしていたが、歩いてすぐの場所なら心配することもなさそうだった。