チェックインカウンターの前はがらがらに空いていた。預ける荷物は小型のスーツケースひとつだけだ。搭乗手続きと出国審査を済ませてゲートへ来てみると、出発時刻までまだ時間はたっぷりあった。ミミは、空港まで送ってくれるはずだったが、急用で来られなくなってしまった。来年サルタで開かれる展示会の打ち合わせが入ったのだ。いよいよ、ミミの絵が北部で展示されることになるわけだ。あのコンサート以来、ミミは、ミンモのCDを取り寄せてそればかり聴いている。とうとう本物のミケランジェロを見つけたのだと。そして、いつか、ミンモと共演してみたいと言うのだった。

空港から乗った電車からは夕陽に染まる遺跡や廃墟が見えていた。日没まではまだ時間がかかりそうだ。わたしは、ブエノスと逆の季節にいることを、気温ではなく日の長さで感じていた。その日のローマは夜になってもまだ暑さがおさまらず、湿度もかなり高いようだった。中央駅からはタクシーを拾うことにした。行き先は、知りあいが紹介してくれたあるカトリック修道会の宿泊施設だ。中心街の便利なところにあるのでよく利用している。外観はふつうの家と変わりはないが、なかに入ると中庭の回廊の壁にみごとなテンペラの宗教画が描かれている。わたしは、その奥の建物にある受付で部屋の鍵を受け取った。今回も、ひとりで泊まるにはちょうどよい広さの個室があてがわれていた。簡素なベッドのほかに勉強机と衣装棚があるだけで洗面所もいたってシンプルだったが、わたしには十分だった。
食事は決められた時間に取ることになっていた。わたしは、さっそく食堂に降りてみることにした。まだだれも来ていない。いちばん奥のテーブルについてしばらくすると食事が運ばれてきた。メニューは豆のスープに子牛のソテー、それにサラダとパン。ワインも自由に注文できる。食事をしているとぽつりぽつりとひとが集まってきた。
顔見知りのシスターが声をかけてきた。
「おかげさまで、つつがなく」
「それは、なによりです」
「あの、ひとつおうかがいしたいことがあるんですが」
「なんでしょう」
「ヴィラ・チェリモンターナというのは、ここから近いのでしょうか」
「チェリモンターナなら歩いてすぐですよ。後で地図をさしあげましょう」
親切なシスターは、わたしの食事が終わらないうちに地図を持ってきてくれた。夜のローマにひとりで出かけるのは気後れしていたが、歩いてすぐの場所なら心配することもなさそうだった。