2011年2月20日

月待ち茶屋 - VI

 
 石垣の上に建てられているお蔵は地面よりも少しばかり高いところにあるので、茶屋のお月見台は、ステージには打ってつけだった。客席は、その横のわりと広い空き地に設けられ、台の上には、紙芝居の舞台と楽団員のための椅子が並べられている。もうそろそろ、西の空では、川下の遥か彼方へと夕陽が沈んでいくところだった。そして、その最後の赤い点が水平線から消えてしまうと、赤い水晶の山の上に、ぽってりとした、太陽かと見まちがうほどの大きな月が姿をあらわすはずだった。

 客席が埋まりはじめると、楽団員がそれぞれの楽器をたずさえてお月見台にのぼってきた。紙芝居の舞台は真んなかのよく見えるところに設置してあったが、ふだんのものよりも少し大きめのものが設えてあった。楽団長が現れ、弦楽器の音あわせが終わると、客席から拍手が起こった。いよいよだ。静かにチェロの音が流れる。そして、ヴィオラ、ヴァイオリン。プロローグが終わると、白いスーツに身を包んだカンタロウおじさんが登場した。そこで拍子木が鳴り響き、紙芝居の舞台の幕がさっと両脇に開かれた。
 

 むかしむかしあるところに、マリオという女の子がいました。マリオには、お父さんもお母さんもいません。遠い親類のおじさんとおばさんが親代わりでした。だれからも愛される明るいマリオでしたが、彼女には、ひとつだけだれにも言えない秘密がありました。おじさんたちにも、です。
 
 学校の音楽会になると、マリオは、必ずお腹が痛くなるので、みんな不思議に思っていました。心配したおじさんたちが、マリオに尋ねてみると、マリオはおずおずと歌をうたいはじめました。
 「ええっ、どうして?」
 おじさんもおばさんもびっくりしました。なぜなら、マリオの歌声はヴァイオリンの音だったからです。
 おばさんは、さっそくマリオを医者に連れていきました。けれども、マリオは病気ではないと追い返されました。一方、おじさんは、古書を調べたり、大学の先生に聞いたり、はたまた占い師や魔術師にも相談してみましたが、どうしてマリオの声がヴァイオリンになるのか、だれにもわかりません。
 そんなとき、おじさんは、赤い水晶の山の奥のそのまた奥に住むといわれている老婆のことを思い出しました。もしかしたら、そのお婆さんなら知恵を貸してくれるかも知れない。そう思ったおじさんは、さっそくその山へ出かけていきました。
 「こ、こんにちは」
 岩窟のなかをのぞき込むと、暗い穴のなかには、ひとりの老女が座っていました。
 「なんの用じゃ」
 「今日は、ひとつご相談があってやって参りました」
 おじさんの事情を聞いたお婆さんは、岩穴の奥に消えたかと思うと、黒い埃のかぶった箱をひとつ抱えて戻ってきました。そして、その箱をおじさんの目前に置くと静かに蓋を開けました。
 「魔法のヴァイオリンじゃ」
 「魔法のヴァイオリン?」
 「これは、音が出ない」
 「そ、それは、壊れているからではありませんか?」
 「ばかを言うでない。このヴァイオリンはの、音の代わりに、もっと凄いものが出てくるのじゃ」
 「ま、まさか・・・」
 「おかしなことを考えておるな。そんなものは出てこんぞ」
 「いえいえ、そんな、滅相もございません」
 「ふむ」
 このお婆さんには嘘はつけません。なんでもお見通しなのです。
 「で、その凄いものと申しますと?
 「ことばじゃ」
 「ええっ?」
 おじさんは、びっくり仰天して、しばらく口がきけませんでした。これは、マリオのケースの逆、あり得ないことではありません。そして、お婆さんの話によれば、このヴァイオリンは、満月の夜にはひとりでもうたい出すということでした。
 「この魔法のヴァイオリンとマリオの声が入れかわってくれればいいのに・・」
 そう思ったおじさんは、そのヴァイオリンを譲ってもらえないか頼んでみました。
 「わしには、いずれこういう日が来るとわかっておったぞよ。これは、マリオのものじゃ。持ち帰りなされ」
 それから少したって満月の夜になると、おじさんは、黒い箱を携えてマリオのところに行きました。
 「マリオ、ちょっとこのヴァイオリンを弾いてごらん」
 マリオは、言われたとおり、ヴァイオリンに弓をあてて引いたり押したりしてみました。すると、どうでしょう、微かに声が聞こえてきました。アヴェ マリス ステラ デイ マテル アルマ・・。なにやらお祈りのようでしたが、その震える声は、まるで生きているかのようでした。
 「なんだか、じぶんがうたっているような気がする」
 そう言うと、マリオは、少しずつヴァイオリンとうたいはじめました。うたっていると、ときどき、どちらが本当のじぶんかわからなくなりましたが、マリオは楽しさのあまり時を忘れてしまうのでした。

 それからマリオは、満月のたびごとに魔法のヴァイオリンとうたいました。けれども、どれだけ満月が昇っても、うたい尽きることはありませんでした。ヴァイオリンは、マリオの知らない歌をたくさん知っていたのです。

 きっと、今夜も、この町のどこかで、マリオがうたっていることでしょう。

 カチ、カチ、カチと拍子木の音とともに紙芝居の幕が閉じると、照明が落とされ、あたりは暗闇に包まれた。ひとり、またひとりとお客がお月見台を去っていく。その遠く向こうには、ぼんやりと、月明かりに照らされてほんのり赤くなった山が、浮かんで見えた。 (完)


 

2011年2月13日

月待ち茶屋 - V

 
 それから一週間後、ちらし用の絵がようやくできあがった。さっそく、カンタロウおじさんに見せようと思ったが、長らくおばさんの顔も見ていなかったので、こちらから出かけていくことにした。カンタロウおじさんの家は、隣町の外れの静かなところにある。起伏のない平坦な土地をしばらく行くと、その先には、長閑な田園風景が広がった。

 カンタロウおじさんの庭には、ねむの木があった。この木は、夏が来ると、緑が傘のように広がり、コーラルピンクの羽毛のような花を咲かせる。わたしがはじめてこの木に出会ったのはイタリアだった。彼の地ではアルビッツィアと呼ばれているため、はじめは、それがねむの木だとはわからなかったのだが、この木は、夜になるとじぶんで葉を閉じ、それがまるで眠るようなので、眠りの木、ねむの木と呼ばれるようになったのだという。そして、イタリアでわたしが出会ったアルビッツィアも、同じようにボナノッテと囁きかけられていた。この話をカンタロウおじさんにすると、うちにもぜひにと言って、この木を植えたのだった。

「こんにちは」

「やあ、マリオちゃん、いらっしゃい」

 おばさんにと思って、ここに来る途中で立ち寄った青空市場の桃を手渡すと、カンタロウおじさんは、あそこだよと、庭の方を目配せした。ねむの木陰に、車椅子のおばさんの姿があった。わたしがそばまで行くと、おばさんの小さな声が聞こえた。

「ねんねの ねむの木 眠りの木
 そっとゆすった その枝に 
 遠い昔の 夜の調べ
 ねんねの ねむの木 子守唄
 
 薄くれないの 花の咲く
 ねむの木陰で ふと聞いた
 小さなささやき ねむの声
 ねんね ねんねと 歌ってた

 ふるさとの夜の ねむの木は
 今日も歌って いるでしょか
 あの日の夜の ささやきを
 ねむの木 ねんねの木 子守唄」

 遠い記憶のなかをぼんやりとさまよっているような、いま、ここにいないような、そんなおばさんだったが、やっぱりそこにそうしている。わたしは、おばさんの傍らで歌を聞いていた。

「ここで、いつもこうして歌っているんだよ」

 カンタロウおじさんは、ぽつりとそう言った。

「ちらしの絵ができました」

 そう言って持ってきた絵を見せると、カンタロウおじさんは、紙芝居の筋にもぴったりだと喜んでくれた。けれども、見てのお楽しみだからと言って、物語についてはなにも教えてくれなかった。

 ちらしが印刷できたという連絡が入ったのは、その三日後のことだった。わたしは、さっそく運動靴に履きかえ、茶屋へと向かった。一軒ずつ町じゅうを回ってちらしを配るつもりだったからだ。古い町並のいちばん端からはじめることにして、一枚ずつ郵便受けに入れていった。材木問屋のあたりまで来たときに、鯉のぼりおじさんのことを思い出し、家を探してみると、遠めにガラス戸の奥に鯉のぼりを吊るした家が見えてきた。呼び鈴がないので一瞬戸惑ったが、戸を横に引いてみると、開いてくれた。

「こんにちは」

 呼んでみると、奥からはーい、と声がした。鯉のぼりおじさんの声だ。

「おや、マリオちゃんじゃないか」

 暖簾をわけて玄関先に出てきた鯉のぼりおじさんにちらしを見せると、ぜひとも寄せていただくよ、とすぐに返事をくれ、上機嫌でこう言った。

「いやあ、うちも、とうとう神さまからお預かりいたしましたよ」

「それじゃあ、本当に鯉のぼり爺さんになったんですね。おめでとうございます」

 鯉のぼりおじさんのそんな嬉しそうな笑顔を後に、再びちらしを配って歩き続けたが、町じゅうに配り終わったのは、その三日後のことだった。そのあいだ、わたしはカンタロウおじさんのことを考えていた。カンタロウおじさんは、わたしにはなにも言わないが、本当はおばさんも紙芝居のある音楽会に連れていきたいに決まっている。その日がきたら、こっそり車椅子に乗せて、おばさんを茶屋まで連れていってあげよう。そうして、驚かせてあげるのだ。

 それから次の満月まで、カンタロウおじさんに会うことはなかった。

2011年2月6日

月待ち茶屋 - IV

 
 それから数ヶ月たったある日のこと、海辺の小さな町のアートスペースから展示会の誘いが舞い込んだ。承諾の返事を出すと、すぐに見取図と写真が送られてきた。そこは、海水浴場から歩いてすぐのところにある古い町屋をそのまま利用していたが、通りからよく見えるところにあるので、ひと目にもよく留まりそうだった。見取り図からすると、大きな絵ならば四~五点、さらに小さなものも六点くらいは展示でき、わたしは、さっそく作品選びに取りかかっることにした。

 ノベルから知らせが入ったのは、その作業をしているときだった。あれからしばらくしてミンモの容態が急変し、いろいろと手を尽くしたけれどもとうとう天に召されたということだった。すぐに、ありきたりのお悔やみの言葉を送る気にはどうしてもならなかった。たいせつなひとを失うこと、わたしも、きっとそれを恐れている。でも、それはだれにも必ずやってくる、乗り越えていかなければならないこと。愛おしさや親しみ、思いやりを閉ざして生きていくことなんて、だれにもできやしない。それは、触手のように伸びていく身体の一部のようなものなのだ。もし、それがプツンと切れてしまえば、肉体が傷つくような痛みを感じるのは当りまえだ。ひとは、いつか切られてしまうとわかっているのに、その触手を伸ばさずにはいられない。それぞれの身体のなかに閉じ込められた状態では耐えられず、意識はそこから抜け出したがっている。わたしたちは、だれかを愛したいと思い、友だちに会って語りあいたいと思い、ひとのあいだで生きたいと思う。じぶんの殻から抜け出そうとして話しかける相手は、鏡だっていいのかも知れない。そうして、その先にもじぶんが存在しているのかどうか、常に確かめながら生きているのだ。旅だってしまったひとはもう戻らない。お互いのあいだにあった血の通うパイプラインはもうなくなってしまった。残されたものは、そのパイプラインをほかのもので満たしていかなくてはならい。ノベルはきっと、彼との数え切れない思い出でパイプラインを満たしていることだろう。記憶を呼び覚まし、思うことを、わたしは虚しいとは思わない。それは、ひとが持てるもっとも美しい力だと思うからだ。わたしは、こんどの展示会をミンモに捧げようと思った。

 その後、ノベルから一通の封書が届いた。なかには、ミンモの形見にと、彼のCDが同封されていた。そのカバーを見て、わたしには、それがミンモが描いた絵だとすぐにわかった。そこには、どこにでもあるようなごくありきたりの部屋が描かれていた。まんなかにはテーブルと椅子、その横に赤いソファと観葉植物、テーブルの上には小さなクリスマスツリーとボトルが二本置かれている。そして、そのだれもいない部屋の窓からは、教会の尖塔と三か月が顔をのぞかせていた。

 ミンモの訃報で少し沈んでいたところに、ひょっこりと訪ねてきてくれたのは、カンタロウおじさんだった。わたしのこころのなかが見えているかのように、こうして現れてくれるのがカンタロウおじさんの不思議なところだ。カンタロウおじさんは、ミンモのCDを見ながら言った。

 「ここには、なにもかもがあるね」

 そこに描かれていたどこにでもあるような部屋は、ささやかな幸福に満ちていた。ミンモは、わざわざ遠いところへ探しにいかなくても、世界を征服しなくても、幸せになるための種はじぶんのなかにはじめから備わっている。それを、ひとつひとつ丁寧に育てさえすればいいのだと言っているような気がした。

 「小さいころは、生まれた町のことより、もっと広い世界のことが知りたくて、よく外国に憧れたものだよ。この川の流れていった先、海の向こうにはなにがあるんだろうってね、そんなことばかり考えていた。でもね、こうして世界じゅうを旅してきたが、どこも同じ、世界の片隅だったんだ」

 カンタロウおじさんは言った。

 「ホモ・ヴィアトールという言葉があってね、ひとは旅びとだと言われてきた。でも、ひとは旅をしながらいつも、どこか戻っていく場所を探しているんだ」

 わたしには、カンタロウおじさんが、生まれる前にじぶんがいた場所のことを言おうとしているのがわかった。

 「生まれたときからすでに永遠への旅ははじまっている。急ぐ必要はない。なぜなら、相手は永遠なのだから」
 
 「名言だわね」

 「あっはっは。これは、偉い大学の先生の台詞でした」

 カンタロウおじさんは、そう言って大きな声で笑った。それから、わたしはカンタロウおじさんに、展示会に出す絵をみてもらった。

 「こんどのテーマはムヘールにしようかと思ってるの。スペイン語で女性という意味だけど、この言葉の柔らかい響きが好きなの」

 「こっちのは、母胎のなかにこの町が浮かんでいるような絵だね。生まれる前からこの町の風景やここで出会うひとたちのことがわかっていたのかい?」

 カンタロウおじさんは、その絵に星宿という名まえをつけてくれた。わたしは、星が宿ると書くこの言葉が好きだった。こうしてあらためてすべての絵をながめてみると、そこには母胎を感じさせるものが必ずあった。わたしが絵を描くときというのは、じぶんのなかから自然に湧き出てくるものをそのまま色と形に置き換えるだけだ。意図もなければ計画もない。そんな風に自由に描くのが好きなのだ。わたしのなかで眠っている、じぶんすら気づいていないことが、そのときは返事をしてくれるような気がするからだ。沈黙のなかで静かに生きている「わたし」が、絵を描いているときには、こちらを向いてほんの少し微笑んでくれるような気がするからだ。思うに、こうして母胎という花に形を変えて画布のなかに息吹こうとしているのは、じぶんのなかの小さな再生の力、命への憧れなのではないのだろうか。

 
 展示会の準備が終わってひと息ついたころ、茶屋の主催で、カンタロウおじさんと隣町の楽団による「紙芝居のある音楽会」が開かれることになった。茶屋では、こうした催しが満月の夜に開かれていたが、それが、ようやくカンタロウおじさんのところにも回ってきたのだ。
 
 さっそく隣町の楽団長さんと打ちあわせようということになり、わたしも茶屋に出かけることになった。その楽団長さんとは、以前、カンタロウおじさんが演奏会に連れていってくれたことがあるので初対面というわけではなかったが、こうして一緒にテーブルを囲むのはもちろんはじめてだ。茶屋で画集をめくりながら時間をつぶしているところに、ふたりが現れた。楽団長さんはもの静かで、話好きの紙芝居師とは対照的だ。いかにも音楽家らしい落ち着いた雰囲気がある。ところが、その楽団長さんが、怪訝そうにこんなことを言うのだった。

「これは、うちの団員のあいだの噂話なんですが、あの山では、満月の夜になるとヴァイオリンの音が聞こえるというんですよ」

「ほうほう、それはおもしろいですな」

 紙芝居作家の目は、いつになくきらきらと輝いている。楽団長さんは、そのまま続けた。

 「このあたりには、隠れキリシタンが多かったそうですね。ミサも、長いあいだ、どこかでひっそりと執りおこなわれていたのだとか。そして、その伴奏に使われていたのがヴァイオリンではないかと。満月の夜にヴァイオリンの音が聞こえるというのは、そこから幻想が膨らんだものでしょうね。これは、何十年も前のことですが、この町から優秀なヴァイオリニストが出ましてね。そのひとについて書かれた本に、そんなことが書かれていたそうです」

 その話を聞いて、カンタロウおじさんは、思い出したようにポケットからあるものを取りだした。

 「このあいだ、山を歩いていて小さな岩窟を見つけましてね。しゃがんでやっと入れるくらいの穴なんですが、なかはわりと広いんですよ。これは、そこで拾ったものなんですが、こんなような赤い石が地面にいくつかまとまってありましてね」
 それは、カンタロウおじさんが、いつかわたしに拾ってきてくれたのと同じ赤い石だった。ところが、そのどれにも同じような小さなキズがあるのだと、カンタロウおじさんが手のひらに取ったその石をよく見ると、確かに、なにかが彫ってある。文字のようでもあったが、それは十字のようにも見えた。

「その岩窟がミサの場所だったとか・・・」

 楽団長さんは、その石を手にしながら、そう言った。カンタロウおじさんたちは、その後も夜遅くまで話し込んでいたようだが、わたしは、この催しのちらしの絵を担当することになり、それが決まったところで早めに家路についた。

   

2011年1月31日

月待ち茶屋 - III



 この町のいちばん古い通りには、むかしの蔵を改造した茶屋がある。ある日のこと、わたしは、カンタロウおじさんから呼び出されて、その茶屋まで出かけることになった。なんでも、この町の鯉のぼり作家が作品を展示しているとかで、きっとわたしにも気にいるだろうからと声をかけてくれたのだった。その通りの材木問屋が軒を連ねるあたりまで来ると、ほのかに木の芳しい匂いがした。軒先にずらりと立てかけてある材木から匂ってくるのだ。伐採された木は、上流から川をつたってここまで運ばれてきていた。

 格子戸を開けてなかに入ると、玄関からずっと向こうまで三和土が続いている。茶屋になっているお蔵はそのいちばん奥にあった。靴を脱いで上がろうとすると、後ろから声がした。カンタロウおじさんだ。わたしたちは、靴を揃えてスリッパに履きかえ、お蔵のなかに入った。板張りの床は、歩くときしきしと音が鳴る。

「おお、ようこそ、いらっしゃい」

 言葉をかけてきたのは、カンタロウおじさんとちょうど同い年くらいの男性で、鯉のぼり作家というのはそのひとだった。お蔵の天井からは大きいものから小さいものまで大小さまざまの色鮮やかな鯉のぼりが吊り下げられていたが、どれも手描きで、華やかな色彩に彩られていた。ひとつずつ、ゆっくりと作品を見学した後で、わたしたちは、鯉のぼり作家を交えてお茶をいただくことになった。そのひとは、長年、この町で和紙作りにたずさわってきたのだという。だが、あるとき、その和紙で鯉のぼりはできないものかと思いついたそうだ。紙芝居作家のカンタロウおじさんと、この鯉のぼりおじさんは、気のあった茶飲み友だちという関係だった。

「子どもっていうのは、不思議なもんで、ひとりひとりが生まれたときからまったく違うんですよね。違う星からやって来たからじゃないかって、僕なんか思っちゃうんですけどね」

 紙芝居を作るカンタロウおじさんらしく、いつものようにファンタスティックなところへと話が飛んでいく。

「むかしは、七つ前は神のうちなんてよく言いましたよね。僕も、子どもは神さまからのお預かりものっていう気がしてならないですよ。それが、もうすぐうちにもそのお預かりものがあるかも知れないんですよ

「そりゃあ、おめでたい。こんどは、鯉のぼり爺さんになるわけですな」

 鯉のぼりおじさんは、そう言われて照れくさそうに笑った。しばらく三人でそんな話をしていたが、突然カンタロウおじさんが、みんなでお月見をしていかないかと言い出した。茶屋の裏手には櫓が組まれており、そこからは月がよく見えたので、町のひとたちはそれをお月見台と呼んでいる。山の向こうにぽっかりと月が昇るときなどは、それが川面にゆらゆらと映っても見える。

 「お月さまにいるのは、兎じゃなくて鯉なのかも・・・」

 わたしがそう言うと、カンタロウおじさんは、そんな紙芝居をひとつ考えてみようかと言った。

  茶屋の木戸を開けて外に出てみると、あたりはもう夜の帳が下りようとしていた。お蔵のわきに造りつけられている階段をのぼってお月見台に上がると、日よけ用の朱い蛇の目はとっくに取り外されており、目の前の視界は大きく開けていた。そろそろ昇ってくるころだろうか、ダークブルーの空がさらに深まったころ、赤い山の向こうがほんのりと明るくなった。すると、あたりの雲にその明かりが反射して、まるで夕焼け雲のようにオレンジ色に輝いた。しばらく待っていると、雲が動きだし、そのあいだにまん丸の月が顔を出した。今日は満月だった。

 
 ある満月の夜のことです。空から光がひとつ降ってきて、どこかの川に落ちました。その光は、金色の魚になって、川のなかを泳ぎはじめました。

 その川の水がきらきら光るのを不思議に思った一羽のツバメがいました。ツバメは、その上を飛びながら、川のなかをうかがっています。

 しゅぱっ!川の水がいきなり噴水のように飛び散って水面に魚が飛び上がりました。しゅぱっ!もう一度、飛び上がりました。

「ようし、もう一度。しゅぱっ!」

「魚さん、なにしてるの?」

「空を飛ぶ練習ですよ」

 魚は、じぶんの頭の上をいつも飛んでいる鳥を眺めながら、じぶんも飛んでみたいと思っていたのです。

「それじゃあ、わたしが飛び方を教えてあげましょう。その代わりに、わたしにも泳ぎ方を教えてください」

 ぴかぴか光る魚に、ずいぶんと憧れていたツバメは交換条件を持ちかけました。

「それじゃあ、満月の夜、ここで会いましょう」

 それから毎日、魚は飛ぶ練習をし、ツバメは水のなかを泳ぐようなかっこうで飛びました。そして、満月の夜、一緒に泳いだり飛んだりしているうちに、魚とツバメはひとつになってしまいましたとさ。 

 
 カンタロウおじさんたちと楽しいひとときを過ごした後、家に戻ったわたしは、ひとり囲炉裏にあたりながら、窓際に置いてある赤い小石を眺めていた。それは、いつかカンタロウおじさんが山から拾ってきてくれた赤いチャートという石だ。陽あたりのいいところに置いたらきれいだよと言われて、朝陽のよく差し込む窓際に並べたのだった。その、カンタロウおじさんがよく行く山は、「赤い水晶の山」と呼ばれているが、それにはちゃんとしたわけがあった。

「長いあいだ、あの山の地層のことはわからなかったんだが、つい最近になって、あれはマリンスノーでできていることがわかったんだよ」

 いつかのカンタロウおじさんの説明によると、数億年かかって深海に堆積したマリンスノーが、一億年前の地殻変動によって隆起してできたのがあの山ということだった。マリンスノーというのは、珪酸質、つまり水晶のようなものから成るプランクトンの屍がおもだが、植物プランクトン光合成で酸化鉄サビ)も生まれるので赤く染まっている。紙芝居の舞台と拍子木に使う木を探すために、これまでさんざん山のなかを歩き回ったというカンタロウおじさんは、赤い水晶の山のことは隅々まで知りつくしているというのが自慢のひとつだった。わたしには、その山歩きが、カンタロウおじさんの巡礼のようにも思えた。

 なん億年も前のマリンスノーでできている赤い小さなチャートを見ていると、ここにこうして生きていることが、ほんの一瞬の出来事のように思えてしかたがなかった。マリンスノーは一年でせいぜい2マイクロメートルしか積もらない。あの山の高さになるまで二億年もかかるのだ。そして、わたしがこんなことを言うと、カンタロウおじさんは、ただ笑いながら聞いていた。
 
 「死んだら、わたしも灰になって、マリンスノーみたいになん億年もかけて海底に沈んでいきたいな。そして、赤い石になって、だれかに拾われて、窓際に置いてもらうんだ」

 

2011年1月25日

月待ち茶屋 - II

 
 ここに戻って最初にすることは買出しだ。この家の周りにはなにもないので一週間分はまとめ買いをする。いちばん近くにある市場でも車で一時間ほどかかるし、たいていは昼前に店を畳んで引きあげてしまうので、出かけるときは早起きをする。野菜や果物は地域の農家が出荷し、肉や魚は大きな町から、日によって新鮮なものがあればとどけられた。
 
 買出しから帰ってみると、朝つけておいた囲炉裏の火はもうしっかりと据わっていた。机の上には、長いあいだ読んでいない本が山積みになっている。そのなかから一冊取り出して、ときどきうとうとしながら目を通していると、だれかに名まえを呼ばれたような気がした。空耳のようでもあった。すると、今度はコンコンと窓を叩く音がした。外をのぞいてみると、そこにカンタロウおじさんが立っていた。

「やあ、マリオちゃん。近くまで来たから寄ったんだけど、車があったからいるのだろうと思って」

「どうぞ、どうぞ。お茶でも淹れるわね」

 カンタロウおじさんは隣町に住んでいた。長年の会社勤めを辞めて、いまではじぶんで作った紙芝居をいろんなところで演じている。ときどきこの町に来るのは、紙芝居の舞台や拍子木作りに使う材木を調達するためだった。囲炉裏の前の座布団に腰を下ろすと、カンタロウおじさんは、鉄瓶をのぞき込んだ。お湯はもう沸いていた。

「おばさんの具合はどう?」

「ああ、元気にしてるよ」

 二年前から寝たきりになってしまったおばさんの介護のためにも、おじさんは会社を辞めたのだった。そして、そんなおばさんに手作りの紙芝居を聞かせてあげるのが、カンタロウおじさんの日課であり、楽しみでもあった。

「紙芝居をしているときがいちばん嬉しそうかな

 カンタロウおじさんは、照れくさそうにそう言った。その日は、わたしも、聞いてもらいたいことが山のようにあった。コロニアで出会った絵のこと、チェリモンターナのジャズフェスとミンモのお見舞い、そして、ヴァイオリンのこと。

 「そういえば、アルゼンチンで素敵な話を聞いたわ」

 それは、サルヴァメ・マリア(マリアよ我を救いたまえ)という一風変わった名まえのカフェでのことだった。遊び半分で占い師にみてもらったそのすぐ後で、わたしは、ミミとサルタ出身の友だちと三人でそのカフェに行ったのだが、そのとき話題にのぼったヴァイオリンの話というのがとても印象に残っていた。

「そのお友だちというのが、アルゼンチン北部の民族音楽家一族の生まれでね、お爺さんの代まではみんなヴァイオリンが弾けたらしいの。それで、晩ご飯が終わると、家族そろって外に出て、星空の下でヴァイオリンの練習をしたそうよ

 カンタロウおじさんは、黙ってわたしの話を聞いていた。

でもね、ヴァイオリンの音があんまり響くと、ときどき本当に怖くなるって、そのひと言うのよ」

 すると、カンタロウおじさんはこんなことを言った。
  
 「ヴァイオリンにもアルマ(魂)があるんだよ。知っていたかい?」

 「アルマ?」

 「細くて小さなつっかい棒のようなものでね、表板から裏板へ振動を伝えるたいせつな役目があるんだ。それがないとヴァイオリンは楽器として働かないんだよ。でも、いったいだれが、魂なんていう名まえをつけたのだろうね」

 「ダ・ヴィンチ?・・・だったりして」 

 わたしは、思わずその名を口にした。 

 「いやいや、本当にそうかも知れないよ。確か、魂は肉体に生きることを望んでいる、肢体がなければ動くことも感じることもできないって言ったのは、ダ・ヴィンチだからね」

 そんな話をしていると、星空の下でヴァイオリンを奏でるお爺さんの姿が思い浮かんだ。

「山にヴァイオリンが響きわたると、空からなにかが降りてきて、そのままお爺さんはどこかへ連れていかれてしまいましたとさ」

「そうか。宇宙人は、ウィトウィルス人体図のことはすでに知っていたけれど、ヴァイオリンもそれと同じだってわかったんだわ」

 カンタロウおじさんとわたしの空想は、どんどん広がっていった。

「ヴァイオリンなら、紙芝居にもひとついい話があるよ。『やぎじいさんのヴァイオリン』っていうんだけどね」

 そこで、カンタロウおじさんは、臨場感たっぷりの紙芝居調で、その話を聞かせてくれた。

「森で、やぎじいさんは道に迷ってしまったのです・・・そして、オオカミの家に迷い込んでしまいました・・・・このままでは食べられてしまいます・・・さあ、どうしましょう・・・そうだ、ヴァイオリンを弾いてみよう・・・・その音色を聞いたオオカミは、このやぎじいさんを食べるのが怖くなってしまいました・・・・」

 カンタロウおじさんと話していると、いつも時間があっというまに過ぎてしまった。いくらでも、話題にこと欠かないひとなのだ。そして、そんなカンタロウおじさんは、身寄りのないわたしにとっては父親代わりのようでもあった。
 
 「ちゃんと鏡は磨いているのかい?」

 わたしが少しでも曇った顔を見せると、カンタロウおじさんは、こんな風に声をかけてくれた。曇っているのはじぶんじゃなくて鏡なんだよ、と。そして、絵を描くときは太く、はっきりと輪郭を描くのがいい。いびつに曲がっていても、ぜんぜん構わない、たいせつなのは、どんな曲線が書きたいのか、ちゃんと知っていることだ。そう言っていつも指導しながら、絵を描く楽しさを教えてくれたのも、カンタロウおじさんだった。