2011年1月31日

月待ち茶屋 - III



 この町のいちばん古い通りには、むかしの蔵を改造した茶屋がある。ある日のこと、わたしは、カンタロウおじさんから呼び出されて、その茶屋まで出かけることになった。なんでも、この町の鯉のぼり作家が作品を展示しているとかで、きっとわたしにも気にいるだろうからと声をかけてくれたのだった。その通りの材木問屋が軒を連ねるあたりまで来ると、ほのかに木の芳しい匂いがした。軒先にずらりと立てかけてある材木から匂ってくるのだ。伐採された木は、上流から川をつたってここまで運ばれてきていた。

 格子戸を開けてなかに入ると、玄関からずっと向こうまで三和土が続いている。茶屋になっているお蔵はそのいちばん奥にあった。靴を脱いで上がろうとすると、後ろから声がした。カンタロウおじさんだ。わたしたちは、靴を揃えてスリッパに履きかえ、お蔵のなかに入った。板張りの床は、歩くときしきしと音が鳴る。

「おお、ようこそ、いらっしゃい」

 言葉をかけてきたのは、カンタロウおじさんとちょうど同い年くらいの男性で、鯉のぼり作家というのはそのひとだった。お蔵の天井からは大きいものから小さいものまで大小さまざまの色鮮やかな鯉のぼりが吊り下げられていたが、どれも手描きで、華やかな色彩に彩られていた。ひとつずつ、ゆっくりと作品を見学した後で、わたしたちは、鯉のぼり作家を交えてお茶をいただくことになった。そのひとは、長年、この町で和紙作りにたずさわってきたのだという。だが、あるとき、その和紙で鯉のぼりはできないものかと思いついたそうだ。紙芝居作家のカンタロウおじさんと、この鯉のぼりおじさんは、気のあった茶飲み友だちという関係だった。

「子どもっていうのは、不思議なもんで、ひとりひとりが生まれたときからまったく違うんですよね。違う星からやって来たからじゃないかって、僕なんか思っちゃうんですけどね」

 紙芝居を作るカンタロウおじさんらしく、いつものようにファンタスティックなところへと話が飛んでいく。

「むかしは、七つ前は神のうちなんてよく言いましたよね。僕も、子どもは神さまからのお預かりものっていう気がしてならないですよ。それが、もうすぐうちにもそのお預かりものがあるかも知れないんですよ

「そりゃあ、おめでたい。こんどは、鯉のぼり爺さんになるわけですな」

 鯉のぼりおじさんは、そう言われて照れくさそうに笑った。しばらく三人でそんな話をしていたが、突然カンタロウおじさんが、みんなでお月見をしていかないかと言い出した。茶屋の裏手には櫓が組まれており、そこからは月がよく見えたので、町のひとたちはそれをお月見台と呼んでいる。山の向こうにぽっかりと月が昇るときなどは、それが川面にゆらゆらと映っても見える。

 「お月さまにいるのは、兎じゃなくて鯉なのかも・・・」

 わたしがそう言うと、カンタロウおじさんは、そんな紙芝居をひとつ考えてみようかと言った。

  茶屋の木戸を開けて外に出てみると、あたりはもう夜の帳が下りようとしていた。お蔵のわきに造りつけられている階段をのぼってお月見台に上がると、日よけ用の朱い蛇の目はとっくに取り外されており、目の前の視界は大きく開けていた。そろそろ昇ってくるころだろうか、ダークブルーの空がさらに深まったころ、赤い山の向こうがほんのりと明るくなった。すると、あたりの雲にその明かりが反射して、まるで夕焼け雲のようにオレンジ色に輝いた。しばらく待っていると、雲が動きだし、そのあいだにまん丸の月が顔を出した。今日は満月だった。

 
 ある満月の夜のことです。空から光がひとつ降ってきて、どこかの川に落ちました。その光は、金色の魚になって、川のなかを泳ぎはじめました。

 その川の水がきらきら光るのを不思議に思った一羽のツバメがいました。ツバメは、その上を飛びながら、川のなかをうかがっています。

 しゅぱっ!川の水がいきなり噴水のように飛び散って水面に魚が飛び上がりました。しゅぱっ!もう一度、飛び上がりました。

「ようし、もう一度。しゅぱっ!」

「魚さん、なにしてるの?」

「空を飛ぶ練習ですよ」

 魚は、じぶんの頭の上をいつも飛んでいる鳥を眺めながら、じぶんも飛んでみたいと思っていたのです。

「それじゃあ、わたしが飛び方を教えてあげましょう。その代わりに、わたしにも泳ぎ方を教えてください」

 ぴかぴか光る魚に、ずいぶんと憧れていたツバメは交換条件を持ちかけました。

「それじゃあ、満月の夜、ここで会いましょう」

 それから毎日、魚は飛ぶ練習をし、ツバメは水のなかを泳ぐようなかっこうで飛びました。そして、満月の夜、一緒に泳いだり飛んだりしているうちに、魚とツバメはひとつになってしまいましたとさ。 

 
 カンタロウおじさんたちと楽しいひとときを過ごした後、家に戻ったわたしは、ひとり囲炉裏にあたりながら、窓際に置いてある赤い小石を眺めていた。それは、いつかカンタロウおじさんが山から拾ってきてくれた赤いチャートという石だ。陽あたりのいいところに置いたらきれいだよと言われて、朝陽のよく差し込む窓際に並べたのだった。その、カンタロウおじさんがよく行く山は、「赤い水晶の山」と呼ばれているが、それにはちゃんとしたわけがあった。

「長いあいだ、あの山の地層のことはわからなかったんだが、つい最近になって、あれはマリンスノーでできていることがわかったんだよ」

 いつかのカンタロウおじさんの説明によると、数億年かかって深海に堆積したマリンスノーが、一億年前の地殻変動によって隆起してできたのがあの山ということだった。マリンスノーというのは、珪酸質、つまり水晶のようなものから成るプランクトンの屍がおもだが、植物プランクトン光合成で酸化鉄サビ)も生まれるので赤く染まっている。紙芝居の舞台と拍子木に使う木を探すために、これまでさんざん山のなかを歩き回ったというカンタロウおじさんは、赤い水晶の山のことは隅々まで知りつくしているというのが自慢のひとつだった。わたしには、その山歩きが、カンタロウおじさんの巡礼のようにも思えた。

 なん億年も前のマリンスノーでできている赤い小さなチャートを見ていると、ここにこうして生きていることが、ほんの一瞬の出来事のように思えてしかたがなかった。マリンスノーは一年でせいぜい2マイクロメートルしか積もらない。あの山の高さになるまで二億年もかかるのだ。そして、わたしがこんなことを言うと、カンタロウおじさんは、ただ笑いながら聞いていた。
 
 「死んだら、わたしも灰になって、マリンスノーみたいになん億年もかけて海底に沈んでいきたいな。そして、赤い石になって、だれかに拾われて、窓際に置いてもらうんだ」