2011年1月3日

ソルフェリーノ通り - IV


 
 友だちのアパートはマンゾーニ通りにあるいたってシンプルなロフトだ。隣のブロックでは、ホテル経営に乗り出した有名ブランドがビルを建てている。その朝は、その騒音で早起きを強いられてしまった。これといってすることもなく、朝食をとりに階下のカフェに降りていくと、留守がちな友だちの郵便を預かっているカフェの主人が、いま届いたばかりだと言って一通の封書を持ってきてくれた。それは、先日ドイツに戻ったチノケンさんからわたし宛に届いたものだった。注文したカプチーノとブリオッシュをもらってアパートに上がり、さっそく封を切ってみると、なかにはヴァイオリン関連の資料が入っていた。

〈ルネッサンスというと、わたしたちはすぐにイタリアを思い浮かべるが、その四百年も前にルネッサンスはスペインで起こっていた。イベリア半島では、三大宗教であるイスラム・ヘブライ・キリスト教が共存し、ギリシャラテン、ギリシャアラブ、そしてヘブライの文化が、互いに絡みあうことでひとつの豊かな文化を築いていた。そうした文化のなかで生まれたのが、それまで北ヨーロッパにはなかった側面の曲線のくびれとブリッジのトップの湾曲を備えた楽器だった。だが、長いあいだ続いたレコンキスタの終焉とともにスペインはカトリックに統一され、1492年には半島にいた改宗していないユダヤ人が国外退去命令を受ける。そうして、それまで半島で培われてきた技術は彼らとともに国外へ流れ出ていくことになった〉

 このくだりによれば、ヴァイオリン制作技術はスペインから流れてきたユダヤ人が方々に広めていったと解釈できる。もうひとつの資料には、ルネッサンスのファーストレディ、イザベラ・デステが、ブレーシャの楽器職人にじぶんが演奏するためのヴィオラ・デ・ガンバを依頼したとあり、それが1493年。彼女なら、新しい楽器の存在を聞きつければ真先に手に入れたいと思ったことだろう。そして、それと同じころ、ダ・ヴィンチに自画像も依頼していた。1500年に彼がマントヴァを訪れた際、イザベラはじぶんの肖像画の画稿を彼に描かせている。文化的素養のあるイザベラと科学者ダ・ヴィンチのあいだで新しい楽器の話がもちあがらなかったはずはない。
 わたしのイマジネーションはエスカレートした。ほかのどんな楽器も、音楽家や作曲家の意見を取り入れながら、なん世紀ものあいだ試行錯誤を繰り返しながら改良されてきたものなのに、ヴァイオリンだけは、はじめからほぼ完成されたものとして誕生した。そして、五百年たったいまでも、その当時のものがもっとも優れているとされるほどの完璧さ。つまり、これは、だれかによって発明されたものなのだ。そんなことができたひとといったら・・・。

 1975年にフェラーラ地理学研究所が発行した『レオナルド・ダ・ヴィンチとヴァイオリン』にはダ・ヴィンチ発明説が論じられていた。ヴァイオリンの先端にあるあの貝の形をした渦巻きこそ、彼が賞賛した黄金比の象徴ではないかというのだ。この比率は、確かに、古くから弦楽器づくりに用いられており、スペインのトレド大聖堂の蔵書のなかからその記録もみつかっている。けれども、こうした幾何学的な作図方は、新しい数学理念が生まれたためにルネッサンス以降その影をひそめてしまう。

 もうひとつの資料は、一篇のラテン語の詩からはじまっていた。ドイツのヴァイオリン作家、ティーフェンブルッカーのものだ。
 
 Viva fuy in Sylvis:
 sum dura occisa securi;
 Dum vixi, tacui,
 mortua dulce cano

 わたしは静かに森に住んでいたが
 ある日残酷な斧で殺されてしまった
 生きているあいだは口がきけなかったが
 死んでからは美しい歌をうたい続ける
  
 

 ひとつの場所に根を張り、自然の循環のなかで脈々と生き続けるためには条件があった。沈黙だ。ある日、木は、みずからの根を絶って森を出ていこうと決意する。自由に歌いたかったのだ。

 チノケンさんへ ヴァァイオリンの資料をどうもありがとう。おもしろいのでずっと読み耽っています。ふと思い出したんですが、アルゼンチンのヴァイオリニスト、ジントーリに会ったとき、じぶんはヴァイオリンで音楽という言葉を話しているのだと言っていました。ヴァイオリンというのは、わたしたちが忘れてしまったなにかを呼び覚ましてくれる楽器なのかも知れませんね。

 今日はこれから、市の美術館でダ・ヴィンチの展覧会があるので行ってみようと思います。

 楽器の音が言葉に代わりうるというのは僕も賛成です。言葉という便利なものがありながら、なぜそれを用いずに音で伝えようとするのか。。。不思議ですよね。
 
 イタリアで修業をしていたとき、僕の大マエストロが言ってました。神がひとを創ったように、ひともそのようななにかを創りあげたかったのではないか、と。

 ひとは、神と言葉を交わすために楽器という、ひとに似てひとではないものを創りあげたのではないでしょうか。神と言葉を交わすことができたのは楽器の音だけだったのかもしれない。。。なーんて、空想しすぎですかね?妄想しだすと止まりません(笑)

    それから数日たって、また郵便が届いた。チノケンさんからだ。なかにはCDが入っていた。

 《ジネット・ヌヴー、 ブラームスのヴァイオリン協奏曲》

 いちども聴いたことのないヴァイオリニストだ。わたしは、さっそくCDを聴いてみることにした。録音はかなり古いものだったが音のつやは不思議なほどに失われていない。生き生きとして生命感に満ちあふれているのだ。わたしは、音楽を聴きながら、ヌヴーの演奏風景を想い描いてみた。

 そのヴァイオリンは、彼女の肉体の一部分のようでもあり、また、すべてのようでもあった。楽器の震えが身体に伝わったとき、全身が声帯となって振動が増幅され、ヴァイオリンの音が迸る。曲は、はじめから終わりまで情感にあふれ、しかも気魄がこもっていた。チノケンさんの言う「神と言葉を交わす」というのは、こういうことなのだろうか。

〈ジネット・ヌヴー、フランス人ヴァイオリニスト。音楽家の家庭に生まれ、幼いころからヴァイオリンの才能を発揮する。15歳でへリンク・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールに優勝した後、世界じゅうを演奏旅行するが、飛行機事故で30歳という若さで生涯を閉じる。亡くなったとき、その胸には愛器ストラディヴァリウスを抱いていた〉

 劇的な一生だ。彼女は、夭逝によりとうとう分身であるヴァイオリンとひとつになり、永遠の声そのものになったのだ。

 
 チノケンさんへ ヌヴーのCD届きました。どうもありがとう。古いものなのに少しもそんな風に感じない、いま、ここで演奏しているかのような新鮮さを感じました。ときとともに消耗していく音ではないのでしょうね。いつか、このひとの演奏を聴きながら絵を描いてみたいです。