
レダに関しては、その習作としてデッサンがいくつか残っている。耳元でカールする髪や後頭部などを見ていると、ヴァイオリンの渦巻きのようでもある。それに、立ち姿の女性像というのも・・・。わたしのイマジネーションはどんどんエスカレートしていった。
あの絵のなかには「なりすまし」というモチーフがある。鑑賞するひとは、白鳥をみながら、実は意識下ではゼウスを思い描いているわけだ。ちょうど、わたしが、聖母子像の幼子をみながら、それにストラディヴァリウスを重ね合わせていたように。彼は、ゼウスが白鳥になりすましてレダの誘惑に成功したという点に注目していたのではないだろうか。
「ダ・ヴィンチにはどうしてもその黄金比を証明できなかったものがあった」
そう、エンリコが言っていたではないか。
「声というのはやっかいなものだ。ゼウスと同じで目に見えない。なんとかして、それをなにかに化かして、ひとびとを虜にさせる方法はないものだろうか。黄金比をちりばめた完璧な声が作れるものはどこかにいないものか・・・」
と、ダ・ヴィンチが本当に言ったかどうかは知るよしもないが、わたしは、この推理をチノケンさんに聞いてもらうことにした。
そう、エンリコが言っていたではないか。
「声というのはやっかいなものだ。ゼウスと同じで目に見えない。なんとかして、それをなにかに化かして、ひとびとを虜にさせる方法はないものだろうか。黄金比をちりばめた完璧な声が作れるものはどこかにいないものか・・・」
と、ダ・ヴィンチが本当に言ったかどうかは知るよしもないが、わたしは、この推理をチノケンさんに聞いてもらうことにした。
個人的には、ダ・ヴィンチとティーフェンブルッカーの出会いがヴァイオリンの誕生のきっかけとなったという説を推したいです。理論的な根拠というよりは個人的な希望です。その方がロマンを掻き立てるじゃないですか。
このヴァイオリンの誕生に関してだけは非常に難しいです。アラビア方面やインド方面の古代楽器がもとになっているのではという説もあながち捨てきれるものではないですし。ただ、あの楽器のみごとなまでのバランスのとれたプロポーションが以前から存在していたと考えるのは難しいのではないでしょうか。五百年以上変わることなく保ち続けられている、このあたり、やはりダ・ヴィンチの存在が関わっていても不思議ではないと思います。
それから、もうひとつ。実は、ヴァイオリンの古い作図法のもととなっているのは〇のなかに正十角形なんです。だから、マドニーナの写真の満月と十字架を見たとき、つい、ヴァイオリンのことを考えてしまいました。
ヴァイオリンの作図のもとになっていたのが〇と正十角形だとは思ってもみなかった。あの、ニコリノさんの写真にあった満月と十字架からヴァイオリンを連想するとは、さすがにチノケンさんだ。わたしは、そんなことを考えながら、うだるような暑さのなか、マンゾーニ通りをスカラ座方面に歩いていた。そろそろ、ミラノを発つつもりだったが、その前にもう一度だけ、ドゥオーモのマドニーナ像を見ておきたかったのだ。
カテドラルを出ると、先ほどの目の眩むような陽射しもこころなしか緩いでいた。これでミラノともお別れだ。長いあいだヴァイオリンの夢をみさせてくれてありがとう。わたしは、マドニーナにそう告げて、ドゥオーモを後にした。
このヴァイオリンの誕生に関してだけは非常に難しいです。アラビア方面やインド方面の古代楽器がもとになっているのではという説もあながち捨てきれるものではないですし。ただ、あの楽器のみごとなまでのバランスのとれたプロポーションが以前から存在していたと考えるのは難しいのではないでしょうか。五百年以上変わることなく保ち続けられている、このあたり、やはりダ・ヴィンチの存在が関わっていても不思議ではないと思います。
それから、もうひとつ。実は、ヴァイオリンの古い作図法のもととなっているのは〇のなかに正十角形なんです。だから、マドニーナの写真の満月と十字架を見たとき、つい、ヴァイオリンのことを考えてしまいました。

スカラ座の前にあるダ・ヴィンチ像の脇を通ってガレリアを抜けると、巨大なゴシック建築が目の前に現われた。黄金のマドニーナは、その尖端に十字架を掲げて立っている。なんという力強い姿なのだろう。その像に見とれていたが、それもつかのま、午後の強い陽射しに立眩み、わたしは、カテドラルのなかに入った。そこで、外界の荒々しさから守られているという安堵感を味わいながら、椅子に腰を下ろし、少し離れたところから、その空間を埋め尽くしている数々の宗教芸術を眺めていた。ふと、頭上に視線を移したとき、わたしの目に磔刑のキリスト像が留まった。位置的には、外側のマドニーナの像の下にあたるだろうか、天井から吊り下げられてる。それは、このカテドラルという大きな母胎のなかで誕生を待っている新たな命を思わせた。そのとき、わたしのなかで、ゆっくりと映像が動きだした。そうだ、彼女が手にしている十字架は、この磔刑の十字架なのだ。
カテドラルに引き返した彼女は、磔刑の十字架をその手で取りはずし、建物の尖端によじ登った。
写真家が近づいてくる。彼は、その三脚を開き写真を撮りはじめる。計算通り、満月のなかに十字架が重なる。
彼女はこころのなかで呟いた。
「声よ、わが肉体の闇を照らしたまえ・・・」
そのとき、月の光のなかで、再生の産声とともにヴァイオリンの音が響く・・。
カテドラルを出ると、先ほどの目の眩むような陽射しもこころなしか緩いでいた。これでミラノともお別れだ。長いあいだヴァイオリンの夢をみさせてくれてありがとう。わたしは、マドニーナにそう告げて、ドゥオーモを後にした。