「さあ、なんでしょうねえ。守護霊がヴァイオリンってことかなあ」
マサさんが言った。
「当面の僕の恋人はヴァイオリンですよ。いつかその楽器がこころを持つようになって・・・なんていう妄想を抱きながら作ってますが」
マサさんが言った。
「当面の僕の恋人はヴァイオリンですよ。いつかその楽器がこころを持つようになって・・・なんていう妄想を抱きながら作ってますが」
「ピグマリオンみたいね。アフロディーテにお願いしなきゃ」
「ところで、おふたりはヴァイオリンの起源についてご存知ですか」
わたしもマサさんも古い楽器が改良されてできたのだろうと思っていた。
「19世紀まではヴィオールを改良したものと考えられていましたが、16世紀のはじめごろに完全な形で誕生したという見方が強いんです。ちなみに、これはドルメッチという古代楽器の研究者の説です」
「へえ。知らなかったわ」
「でも、いつ、だれが最初のヴァイオリンを作ったのかはいまでも謎なんですよ」
「クレモナのだれかじゃなかったっけ?」
マサさんが尋ねると、チノケンさんは、それも一説に過ぎず、本当のところはわからないのだと言った。そのとき、水色のシャツに白のコットンパンツという爽やかな出でたちでニコリノさんが登場した。
「いやあ、みなさん、どうもお待たせしました」
ニコリノさんの快活でよく通る声はその場をぱっと明るくした。ニコリノさんとマサさんは長年のヨガ仲間。そして、チノケンさんとは大学でつながっている。
「はい、これ。洗礼のお祝いにどうぞ」
わたしは、アルゼンチンから持ってきたマテ茶の道具を差しだした。三人がマテ茶の説明書を読みながらあれこれ話しているあいだ、わたしは、数年前にニコリノさんと知り合ったころのことを思い出していた。会って最初に聞かされた話が、ドゥオーモのマドニーナの不思議な体験談で、彼が洗礼を意識しはじめたのはちょうどそのころだった。
「ねえ、みんなにあの話を聞かせてあげてよ。あのマドニーナの・・」
「ああ、あれですか。いいですよ。あれは、2002年のことでした。ドゥオーモの近くでたまたま撮影用の三脚を拾ったんですよ。道端になにげなく置いてあったというか、捨ててあったというか、とにかくそれを拾ってしばらくなにも考えずに歩いていました。で、ドゥオーモの広場まで来てようやく満月に気づいたんです。教会の尖端にいるマドニーナのちょうど後ろに月があって、後光が射しているようだった。しばらくみとれていましたが、そのあいだに像を取巻く雲が動きはじめたんです。マドニーナのオーラが雲を動かしているように見えました。とっさにフォトグラファーとしての身体が動いていました。ちょうどミラノコレクションの最中だったのでカメラには望遠レンズがついていたし、フィルムも高感度のものが入れてあった。でも、夜の風景は光量が低いので、8分の1秒、もしくは、それよりもっと遅いシャッタースピードで切らなくてはならない。望遠レンズとの組みあわせだと大きく手ブレが出てしまうくらいの遅いスピードです。そんなときはどうしても三脚が必要となる。ファッションショーでは邪魔になるので三脚は使いません。でも、あの晩、写真を撮りたいと思ったとき、僕の手のなかには三脚があった」
「そうそう、まるで、マドニーナが写真を撮ってくれといわんばかりに、絶妙な流れですべてが流れていったのよね」
「撮られるべくして撮られた写真という感じがするわね」
「満月とマリア像か。完璧なものどうしの組みあわせですよね。ああ、丸い月のなかにみごとなヴァイオリンが浮かんできた・・・」
チノケンさんのヴァイオリン妄想曲がはじまった。
「ニコリノさん、この実物写真をぜひ見せてくださいな」
そして、その数ヶ月後には、ミラノのギャラリーでニコリノさんの写真展が開かれることになった。テーマは『冬のミラノ』だったが、このマドニーナの写真ももちろん展示された。
チノケンさんのヴァイオリン妄想曲がはじまった。
「ニコリノさん、この実物写真をぜひ見せてくださいな」
そして、その数ヶ月後には、ミラノのギャラリーでニコリノさんの写真展が開かれることになった。テーマは『冬のミラノ』だったが、このマドニーナの写真ももちろん展示された。
「でも、合成写真じゃないかって言うひともいるんですよ」
「そうかも知れませんね。でも、信じられないひとにはなにを言っても無駄ですよ。見えるひとには見えるものだし、見えないひとには見えない。そんなことばかりですよ、世のなか」
みんな、マサさんの意見に賛成だった。