2010年12月31日

ソルフェリーノ通り - II


 「アルゼンチンである占い師にみてもらったことがあるんだけど、わたしの横にはヴァイオリンが見えるって言われたのよね。これってどういうことなんだろう

 「さあ、なんでしょうねえ。守護霊がヴァイオリンってことかなあ

 マサさんが言った。

 「当面の僕の恋人はヴァイオリンですよ。いつかその楽器がこころを持つようになって・・・なんていう妄想を抱きながら作ってますが」

 「ピグマリオンみたいね。アフロディーテにお願いしなきゃ」

 「ところで、おふたりはヴァイオリンの起源についてご存知ですか」

 わたしもマサさんも古い楽器が改良されてできたのだろうと思っていた。

 「19世紀まではヴィオールを改良したものと考えられていましたが、16世紀のはじめごろに完全な形で誕生したという見方が強いんです。ちなみに、これはドルメッチという古代楽器の研究者の説です」

 「へえ。知らなかったわ」

 「でも、いつ、だれが最初のヴァイオリンを作ったのかはいまでも謎なんですよ」

 「クレモナのだれかじゃなかったっけ?」

 マサさんが尋ねると、チノケンさんは、それも一説に過ぎず、本当のところはわからないのだと言った。そのとき、水色のシャツに白のコットンパンツという爽やかな出でたちでニコリノさんが登場した。

 「いやあ、みなさん、どうもお待たせしました」
 
 ニコリノさんの快活でよく通る声はその場をぱっと明るくした。ニコリノさんとマサさんは長年のヨガ仲間。そして、チノケンさんとは大学でつながっている。

 「はい、これ。洗礼のお祝いにどうぞ」

 わたしは、アルゼンチンから持ってきたマテ茶の道具を差しだした。三人がマテ茶の説明書を読みながらあれこれ話しているあいだ、わたしは、数年前にニコリノさんと知り合ったころのことを思い出していた。会って最初に聞かされた話がドゥオーモのマドニーナの不思議な体験談で、彼が洗礼を意識しはじめたのはちょうどそのころだった。

 「ねえ、みんなにあの話を聞かせてあげてよ。あのマドニーナの・・」

 ああ、あれですか。いいですよ。あれは、2002年のことでした。ドゥオーモの近くでたまたま撮影用の三脚を拾ったんですよ。道端になにげなく置いてあったというか、捨ててあったというか、とにかくそれを拾ってしばらくなにも考えずに歩いていました。で、ドゥオーモの広場まで来てようやく満月に気づいたんです。教会の尖端にいるマドニーナのちょうど後ろに月があって、後光が射しているようだった。しばらくみとれていましたが、そのあいだに像を取巻く雲が動きはじめたんです。マドニーナのオーラが雲を動かしているように見えました。とっさにフォトグラファーとしての身体が動いていました。ちょうどミラノコレクションの最中だったのでカメラには望遠レンズがついていたし、フィルムも高感度のものが入れてあった。でも、夜の風景は光量が低いので、8分の1秒、もしくは、それよりもっと遅いシャッタースピードで切らなくてはならない。望遠レンズとの組みあわせだと大きく手ブレが出てしまうくらいの遅いスピードです。そんなときはどうしても三脚が必要となる。ファッションショーでは邪魔になるので三脚は使いません。でも、あの晩、写真を撮りたいと思ったとき、僕の手のなかには三脚があった」

 「そうそう、まるで、マドニーナが写真を撮ってくれといわんばかりに、絶妙な流れですべてが流れていったのよね」

 「急いで三脚を広げてカメラを載せました。そして、ファインダーを覗くと、被写体のとてつもないエネルギーを感じたんです。満月の光が雲に反射してどんどん大きくなって、まるでマドニーナのオーラが広がっているようで、僕は夢中でシャッターを切りました。ほんの数分のあいだのスペクタクルでしたが、撮り終わった後は満ち足りていたというか、幸福感でいっぱいだった」

 「撮られるべくして撮られた写真という感じがするわね」

 「満月とマリア像か。完璧なものどうしの組みあわせですよね。ああ、丸い月のなかにみごとなヴァイオリンが浮かんできた・・・

 チノケンさんのヴァイオリン妄想曲がはじまった。

「ニコリノさん、この実物写真をぜひ見せてくださいな」

 そして、その数ヶ月後には、ミラノのギャラリーでニコリノさんの写真展が開かれることになった。テーマは『冬のミラノ』だったが、このマドニーナの写真ももちろん展示された。

 「でも、合成写真じゃないかって言うひともいるんですよ」

 「そうかも知れませんね。でも、信じられないひとにはなにを言っても無駄ですよ。見えるひとには見えるものだし、見えないひとには見えない。そんなことばかりですよ、世のなか

 みんな、マサさんの意見に賛成だった。

2010年12月29日

ソルフェリーノ通り - I


ずっと気にかかっていたミンモのお見舞いにも行けたしジャズフェスも楽しめた。ローマでの用が終わったら、次はミラノに行くつもりだった。ありがたいことに、ミラノには留守のあいだアパートを使わせてくれる友だちがいるのだ。わたしは、地下鉄のモンテナポレオーネで降りて友だちのアパートに荷物を置いてから、ブレラのソルフェリーノ通りへ向かった。日中のミラノは強烈な暑さだった。歩いていても熱気が地面から跳ね返ってくる。

その日の午後は、ブレラ美術館から少し行ったところの英国調のパブで大学の後輩ふたりと会うことになっていた。ひとりはヴァイオリン作家のチノケンさん、そして、もうひとりは写真家のニコリノさんだ。チノケンさんは活動拠点をベルリンに置いているが、仕事で頻繁にヨーロッパ圏内を飛び回っている。今回も仕事でミラノに来ているのだった。ニコリノさんは、ニューヨークからミラノへ拠点を移し、いまにいたっている。二杯目のジンジャーエールを飲みながらふたりを待っていると、偶然にもかつての顔見知りが店に入ってきた。長い髪を後ろで束ね、いかにもプロのアーチストといった風貌のそのひとは少しも変わっていない。アンブロージョのヨガ道場に通っていたころの知りあいだ。わたしがようやく絵の勉強をはじめたころ、道場には画家、写真家、彫刻家、オペラ歌手、ダンサー、俳優など、さまざまなアーチストたちが集まってきていた。         

 「マサさんじゃありませんか?」

 「おやおや、こりゃまた珍しいひとがいますなあ」

 「これから後輩と会うことになっているんですよ」

 仕事が終わって家に帰るところだったというマサさんにも、少しつきあってもらうことにした。

 「これ、神戸の展示会に出す絵なんですよ。ちょっと見ます?」
 
 マサさんはホルダーを広げ、なかから絵を抜き出した。緻密で繊細なパステルカラーの水彩画だ。見ているとこころが和む。マサさんは、本業はアーチストだが、ほかにもいろいろなことを手がけていた。アーチストの卵のプロモート、ファッションアドヴァイザー、また、最近は貿易コンサルタントもはじめたとかで、とにかく多才なひとだった。そんなマサさんの近況を聞かせてもらっているところに、ようやくチノケンさんが現れた。

 「どうも。お待たせしちゃってすみません」

 わたしは、チノケンさんにマサさんを紹介し、もうひとつジンジャーエールを注文した。

 「今朝、パルマに行ってきたんですけどミラノどころの暑さじゃないですよ」

 チノケンさんは、こうしてイタリアに来るといつも、かつていた工房のあるパルマに寄るのだ。

「今回もまたあれを?」

「ええ、このとおり」

 チノケンさんは背中からリュックを下ろして椅子の上に置き、その口を開いた。大きな生ハムが丸ごと一本入っている。

「これ、ドイツへ持って帰るの?」

「ええ。イタリアは食べものが楽しみなんですよね」

 わたしは、チノケンさんに会ったらコロニアの溜息通りの画廊で見つけたあの絵のことを話してみようと思っていた。ヴァイオリンが関わっているからだ。

 「これがその絵よ」

 そうして、絵の写真を収めてきたカメラをふたりの前に置いた。

 「なんだか苦しそうな感じだね。追いつめられて逃げ場がないというか・・」

 「後ろは壁だから、逃げるとしたら上だよね」 

 「いや、もうひとつ逃げ場はありますよ。いまこの絵を見ている僕らがいるところ。こっちに来ればいいんだ」
 
 「そっか。そういう考え方もありますね。壁に書いているのはなんでしょうね」

 「わたしには、ただなんとなく線を引いているだけに見えるんですけど」
 
 「この絵のモデルになった写真があって、その裏にヴァイオリンって書かれていたそうです」
 
 「僕なんかにしてみれば、女性とヴァイオリンは形的に重なっちゃいますし、裸婦なんかだったらなおさらのこと」

 笑いながらチノケンさんが言った。

「部屋の隅に立てかけられたヴァイオリンってところでしょうかね。となると、こちらに逃げてくるのは音?」

 マサさんはそう言うと、すっと立ちあがって後ろのカウンターにジンジャーエールのお代わりを注文した。

2010年12月28日

チェリモンターナの森 - V

 
 翌朝は嘘のようにからっと晴れあがった。その日は、日帰りでミンモが入院している病院まで行ってくるつもりだったが、ここからは電車で片道三時間以上かかる。わたしは、眠いまなこをこすりながら食堂に下りて朝食をとり、近くのバス停から中央駅へと向かった。電車で二時間も揺られていると、地形も、それまでは尖って岩肌も剥き出しだったのが、女性的ななだらかな田園地帯へと変わっていった。そして、その一時間後には、電車は海岸線を走っていた。
 
 目的地の駅には、ノベルが迎えに来てくれることになっていた。ミンモの恋人だ。ホームに降りて左右を見わたすと、ひとりの女性がこちらへ歩いてきた。日焼けした褐色の肌に白い麻のブラウスがよく映える。ノベルだろうか。

 「あなたがマリオ?」

 「じゃあ、あなたがノベルね」

 そのひとは低い穏やかな声で、想像していたとおりとても理知的な感じがした。

 「彼、どんなぐあいですか?」

 「おかげさまで、いまのところ小康状態が続いているわ」

  ノベルのフォルクス・ワーゲンで病院へと向かった。

「ミンモのいる部屋からは海が見えるのよ」

 このまま順調に快復していけばリハビリもはじまることだろう。そうすれば、いずれどこか別の病院に移ることになるのだろう。ここではリハビリ施設はまだ整っていなかった。

 「昏睡状態のあいだ、あなたが送ってくれたバッハのCDをちゃんと録音して枕元に置いていたのよ」

 「ミンモ、バッハを崇拝していたものね」

 病棟の重いスライド式の扉が開かれた。ミンモは、上半身を起こしてベッドの背にもたれかかっている。わたしたちに気づかなかったのだろうか、じっと前を見つめたままだ。ノベルはミンモの痩せこけた頬を右手の甲でさすった。

 「だれだかわかる?」

 耳元に顔を近づけ、ノベルがゆっくりと言葉をかけたが、ミンモの眼差しはどこかをさまよっていた。

 「スキンシップがいいらしいのよ。手をさすったり頬をなでたりして感覚を刺激するの」
 
 わたしは、ミンモの右手を両手でそっと包んだ。すると、手の平のなかで、かすかに指が動くのを感じた。

 「医療ミスだったのよ。ちゃんとした診断が下されていれば、こんなことにはならなかった。これから病院を相手どって裁判に持ちこむつもり」

 悔やんでも悔やみ切れないといったところなのだろう。そのかたわらで、ミンモは、笑みを浮かべている。

 「夜になると悲しそうな顔をするから、横に座って身体を抱きかかえながら歌を歌ってあげるの。Smile, what's the use of crying? You'll find that life is still worthwhile if you just smile....」

 ノベルはミンモの横でチャップリンのスマイルを口ずさんでいた。歌っているのは彼女だったが、本当はミンモが彼女を勇気づけるために歌わせているような気がした。 

 「そろそろ失礼ようかな。ほかの面会の方たちの時間がなくなってしまうといけないから」

 外はまだ日が高く、フェンスの向こうの海は黒くぎらついていた。わたしは、駅まで送ると言ってくれたノベルの申し出を断り、ひとりで駅まで歩くことにした。焼けつくような陽射しも、もう厭わしくはなかった。

2010年12月27日

チェリモンターナの森 - IV

 
 イマコラータと別れたわたしは、いったん宿に戻り、夜まで休むことにした。ジャズフェスは深夜まで続くはずだし、この暑さではそれまでもち堪えられるかどうかわからない。先ほどシスターがくれた地図でチェリモンターナへの行きかたを前もって見ておこうと思いながら、そのまま眠ってしまった。目が覚めたときはすっかり日が暮れていた。わたしは、急いで身支度し、表に出た。大通りまで行くと遠くにライトアップされたコロッセオが見えてきた。

 「コロッセオは現代文明の計器のような気がする。それが崩壊したとき世界は終わるのではないだろうか」
 
 だれが言ったのかは知らないが、この遺跡を見るたびにこの言葉を思い出した。この巨大な計器は、いったいこの先どれくらいもつのだろう。修復されることはもうないのだろうか。まるで身動きがとれなくなったまましぶとく生き続ける石の怪物のようだ。完全な崩壊か完全な修復か、どっちつかずのところでうずくまっている。円形劇場につきあたったところで左に折れて道沿いに進んでいくと、先方に高い塀に囲まれた緑が見えてきた。一見したところ墓地のようにも見えたが、それがチェリモンターナのようだった。入口の門の前には切符売り場があり、ジャズフェスのポスターが貼ってある。ここに間違いなかった。
 夜も更けて辺りは真暗だ。ヴィラの門をくぐってみると電燈の明かりだけではほとんどなにも見えなかった。ところどころに白い矢印が立っていた。それに従って歩いていけば会場にたどり着くのだろうが、森のなかは迷路のようになっており、かなり歩いたような気がする。ようやくたどり着いたジャズフェスの会場は、森のかなり奥まったところにあった。その造りがどうなっていたのか、暗くてよく覚えていないが、入口付近にはカフェテラス、そして、後ろ手にはドリンクバーがあった。ざっと眺めてみたところ空いている席はもうなさそうだった。客席を見わたしていると、ブエノスで会ったあのピアニストがメンバーと連れだってこちらに歩いてきた。

 「こんにちは、マーゴ」
 
 「えっと、確かブエノスで会ったよね。本当に来てくれたんだ」

 「もちろんよ。気にいった音楽を聴くためなら、わたしは世界中どこにだって行くわよ」

 「終わったらステージの脇においでよ」
 
 マーゴたちは会場を通りぬけてステージの裏へ消えていった。ふと振り返ると、ドリンクバーの大きなソファが目にとまった。少し遠目だったが、ほかに座るところはない。わたしは、白いクッションのソファにゆったりと腰をうずめ、トロピカルドリンクを注文した。その晩のローマは、記録的な高温多湿で、じっと座っていても汗が吹き出してきた。降らない雨のように空気が重い。この森は生きものの肺のようだ。木々はそのなかに気管支のように伸びている。マーゴが鍵盤を叩くと、森が呼吸しはじめた。そして、いよいよその魔法が功を奏してくると、森が歌っているかのようだった。

 演奏が終わるとすぐにファンやマーゴの友だちがステージ脇に集まってきた。ここでのマーゴの人気はなかなかのものだ。わたしは、マーゴがファンに解放されたころを見はからってドリンクバーを出た。マーゴは瓶入りのコカコーラを飲みながら、ようやくひといきついているところだった。
 
 「今夜はどうもありがとう」

 「次の南米公演は10月27日にサン・パオロだけど、よかったらまた聴きに来てよ」

 マーゴは、こんな風に気軽に世界のあちこちに聴きに来てくれとみんなに声をかけていた。

 時計を見るともうとっくに真夜中を過ぎていた。わたしはマーゴたちと別れて、ひとりで暗闇に浮かぶ白い矢印をたどりながら、入口とは反対の方向に歩いて行った。どうやら、入ってきた正門とは違うところに出るらしい。しばらくすると、両脇に高い塀が見えてきた。出口はそれを通り抜けた先にあるようだった。ヴィラから出たらコロッセオを目指せばいい。そして、そのまま遺跡沿いを歩いて行けば、ひとりでに宿泊施設に着くはずだ。ところが、ヴィラからすぐのところにあるはずのコロッセオは、わたしの視界からすっかり消えてしまっていた。方向感覚を失ってしまったが、立ちどまっているわけにもいかず、そのまま歩きはじめた。来た道とはまったくようすが違う。どうやら道に迷ってしまったようだ。コロッセオを探しながらどれくらい歩いただろう。このまま、夜明けまでローマをうろつくことになったらどうしよう。不安を感じはじめたとき、密集した建物のすきまから緑色のライトが光って見えた。円形劇場だ。まったく反対方向にかなり歩いてきてしまった。これじゃ、とおりゃんせみたいじゃないか。わたしは、そのわらべうたをなんども繰り返し口ずさみながら夜道を急いだ。

 とおりゃんせ とおりゃんせ
 ここはどこの 細道じゃ
 天神さまの 細道じゃ
 ご用のないもの とおしゃせぬ子の七つの お祝いに
 お札を納めに まいります
 行きはよいよい 帰りはこわい
 こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ