2010年12月14日

溜息通りの画廊 - III

 
 資料館のひとによれば、ロス・ススピーロス通りはプラザ・マジョール広場を横切って何本かあるなかのいちばん向こうの坂道らしかった。坂にたどりついてみると、そこからは、先ほどまでフェリーから眺めていた泥色の川がすっかり見渡せた。川の流れに対して垂直に下りているその通りの幅はそれほど広くはない。丸くなった川石がそのまま敷石として使われており、まんなかあたりがなだらかに窪んでいるので、雨が降れば通りは川のようになるに違いない。わたしは、坂を下り切ったところにある平屋建ての小さな家の前で立ちどまった。屋根から優雅に垂れ下がるフクシアのブーゲンビリアがピンク色の壁を飾っている。壁はところどころ苔むしてモスグリーンに滲んでいるが、これほど大量の水がこんなに近くを流れていればいたしかたないだろう。本来ならばもっと明るいはずのテラコッタの屋根瓦も色褪せてしまっている。けれども、家全体には妙な生々しさがあった。まるで過去からやって来た貴婦人とでもいわんばかりに気品をたたえているのだ。

軒先には鉄の鋳型を抜いた看板がかかっていた。《ガレリア・デ・ロス・ススピーロス》、ガレリアというからには画廊なのだろうか。石畳の地面の上にいきなり建てつけたようなその家には、ひとの手だけで造られた家のもつ独特の味わいがあった。縦長の窓がふたつ、ぽっかりと口を開けており、そのあいだに入口の扉があった。わたしは、石段をのぼって木造りの重そうな扉を押した。なかに入ると、資料館と同じ剥き出しのままの石壁に、大小さまざまの絵がいっぱいに吊るしてある。天井には根太はなく、棟木と垂木のすきまは薄い板で覆われていた。ギャラリーにある絵をひと通り見てから、さらに奥へと進んでいくと、廊下の右手には小さな台所が当時のままの形で保存してあり、その古い調理台の上には銅製の鍋や天秤、銀食器などが並べてあった。
 
 「この台所は、いまでもコーヒーやマテ茶を淹れるのに使っているんですよ」

話しかけてきたのは、黒髪をポニーテールにまとめた二十歳前後の女の子だった。画廊の店番のほかに、観光客相手に歴史遺産であるこの家屋のガイドもしているようだった。台所の横にある勝手口からは裏庭へも出られるようになっていた。わたしが扉の取手に手をかけると、どこかから一匹の猫が足もとに現れた。きっと、だれかが扉が開けるのを待っていたのだろう。

  「どうぞ。今日はお天気も良いですから庭に出てみてください」

 そう言ってポニーテールの女の子は重い扉を開けるのを手伝ってくれた。庭は芝生になっていた。垣根の手前にある板張りのテラスには、丸くくり抜いて作った植え込みがあり、いまにも枯れそうなほどに渇いた、細く、弱々しい木が生わっていた。女の子にその木の名まえを尋ねてみたが、知らないようだった。芝生のあいだに点々と置かれた飛び石をたどっていくと、庭の奥に小さな扉があった。用心のためだろうか、その窓と扉には黒い鉄格子がかかっており、その前にもう一本、木が生えていた。わたしもよく知っているトランスパレンテ(透明)という木で、ブラックベリーのような実がたくさん生る。そのとき、後ろから声がした。振り返ると、すぐそこにひとりの男性が立っていた。

 「あの細い木は、パライーソ(天国)というんですよ」
 
 先ほど女の子に尋ねた木のことだ。どうやら、この店のひとのようだった。
 
 「コロニアにはたくさんあるのでしょうか」

 「そのようですね」
 
 そう言うと、ポケットから煙草を取り出し、吸っても構わないかというしぐさをしてみせた。客足が途絶えたのだろうか、一服するために庭に出てきたようだった。

 「資料館でこの通りにぜひ行ってみるようにと勧められたんです。来てみたらこんなに素敵な画廊があったので驚きました」
 
 「そうでしたか。それはどうもありがとうございます」

 「この家には不思議な魅力がありますね」
 
 「ええ、確かに。ここに画廊を出したのは、そんなに前のことじゃないんですよ。たまたまここに立ち寄ったら、この家が売りに出されていて、あれは、ちょうどアルゼンチンの経済破綻が起きた2001年の12月のことでした。驚くような安い値がついていたので思い切って購入したんです」

 庭にはペンキの剥げ落ちたベンチが一台置いてあった。

 「僕は、ここで絵を描くのが好きなんですよ」
 
 このひとは画家なのだった。背が高くて精悍なその外見からは、画家というイメージは湧いてこない。どちらかといえば、資料館にあった軍服の方がよく似合いそうだった。

 「ここがアトリエなのですか」

 「ええ。画廊の裏にあるひと部屋を使っています。ちょっと手狭ですが。ところで、この通りの名まえの由来はご存知ですか」

 「いいえ」
 
 「ここには、植民地時代から合法的な娼婦宿が点在していたそうです。町のひとはそのことについてはあまり触れたがらないんですがね。実は、この家も娼婦宿のひとつだったんですよ。で、この家の前を通るたびに、なかから女の溜息(ロス・ススピーロス)が聞こえてきた。それでこの名がついたんです」
 
 「合法的な娼婦宿というと?」

「兵士たちは、強制的にインディオの女たちにじぶんたちの子どもを産ませようとしたんですよ。ここがその場所だったというわけです」
 
 「じゃあ、溜息もすすり泣き混じりだったかも知れませんね」

 「ここへは、観光でいらしたのですか」

 「ええ」
 
 短くなった煙草を吸い切って石畳の向こうに投げ捨てると、彼は、この町の観光なら半日もあれば十分だろうと言った。
 
 「そういえば、先週だったかな。ブエノスから来たというひとに個展の誘いを受けましたよ。どこかのレストランのオーナーとかで、店に僕の絵を飾りたいということだった」
 
 驚いたことに、そのレストランとは、わたしが滞在中のアパートから道路一本隔てたところにある行きつけのレストランだった。思いもよらぬ偶然にすっかり気を良くした画廊の主人は、わたしをアトリエに案内しようと言った。台所の前から狭い通路を入っていくと、まず商品管理や経理のための小さなスペースがあり、その床にはなん十枚ものカンヴァスが無造作に壁に立てかけられていた。その奥の部屋は薄暗く、小窓から差し込む光ではかろうじてなかのようすがわかる程度だった。こんなに暗いところで絵を描いているのだろうか。薄暗がりに目が慣れてくると、目の前にぼんやりと白い図柄が浮かんできた。ひとりの裸婦の絵だった。 

 「この絵には、どなたかモデルがあったのですか」

 「ああ、そのモデルの写真ならちゃんと保管してありますよ。オフィスにファイルがあるので見せてあげましょう」

 隣の部屋へ移動すると、その画家は、コンピューターが置かれている白木のカウンターの前に座って黒革の厚いファイルをパラパラと捲りはじめた。

 「これまで描いてきた裸婦像の実物写真は、こうしてすべてファイルに整理してあるんですよ」

 ようやく見つけ出した写真は白黒でかなり古いものだった。そして、そこに写っている女性は金髪で、透き通るような白い肌だ。
 
 「かなり古い写真ですね」

 「ええ。この家を改装したとき、アトリエの壁のすきまから見つかったんです」

 「ここにいたひとなのかしら」 

 「さあ、どうでしょうね。そうかも知れません」
 
 画家は、その写真を見ていてなにかを思い出したようだった。

 「そうそう、この絵にはエピソードがあるんですよ。あれは三年ほど前だったかな。ここを訪れたある女性がこの絵を見て強いスピリチュアルコネクションを感じたらしいんです。それで、この絵がそのひとの書いた本の表紙になったんですよ。そして、ミラノからあの絵が欲しいという注文が入ったのがそのすぐ後だった」 

 「それじゃあ、絵はミラノへ送られるのですか」

 「それが、ミラノからの連絡はそれっきりで、結局、あの絵は、ブエノスのお客さんに売ることになりました。それじゃあ、またご縁があれば、ブエノスの個展で会いましょう」
 
 わたしは名刺を受け取り、画廊を後にした。