2010年12月13日

溜息通りの画廊 - II

 
   フェリーを降りてみると、ここからは陸路を使うひともいるらしく、モンテヴィデオや内地行きの長距離バスが乗客を待ちかまえていた。バスの脇にはガイドが数人、名まえを書いたボードを掲げて降船客のなかにそれらしきひとを探していた。わたしは、世界遺産となっている旧市街までひとりで歩いていくつもりだった。港を基点とする国道1号線を背にしながら目抜き通りと思われる通りを横切ってみると、すぐに静かな佇まいの住宅地に入った。そして、最初に出会ったロボ通りを左に折れてさらに二区画ほど歩いていくと、前方に石を高く積み上げた城塞が見えてきた。どうやらこれが旧市街への入口のようだ。外部の住宅街との境がはっきりしないために外堀があったのかどうか見ただけではわからなかったが、城でいうなら跳ね橋にあたる渡しが濠にかかっていた。それを渡って塞壁の中央にあるアーチを通り抜けてみると、そこに現れたのは、ヨーロッパの中世の町からそのまま運んできたかのような、煉瓦と石造りの集落とごつごつした石畳だった。ひとが住んでいる気配はなさそうなのだが、ときおり小さな生活音やひと声が聞こえてきた。

 しばらく歩いていると大きな広場に出た。スペインやポルトガルの植民地にはたいていプラザ・マジョールという広場があるが、ここも例外ではなかった。その広場に面したカフェテラスでは、ビールを飲みながらのんびりと日光浴を楽しむひとの姿が見うけられたが、観光客だろうか。世界遺産という売りものがあるにも関わらず、ここの観光化はそれほど進んでおらず、土産もの屋もいたって質素なものだった。いずれ、ここにも大型ホテルや有名レストランが介入することになるのだろうか。けれども、それも一度は通らなければならない道なのかも知れない。

 ラプラタ川から吹き上げてくる風やぎらぎらと焼きつく陽射しは、過去にここでなにが繰り広げられていたのか語ってくれはしなかった。わたしは、いまのこの広場の表情をただ無作為にカメラに収めていくことにした。

 広場を囲むようにして並んでいる建物のいくつかは資料館になっていた。そのひとつずつを順番に見ていったが、なかでも特に関心を引いたのは地方資料館だった。館内の壁は、外壁と同じように川石が剥き出しになっており、ふた部屋という狭いスペースには大きなガラスケースが数台並べられていた。そのなかには史実が細かく記された書類や遺跡から発掘された陶器、武器などが陳列されていた。また、壁には領土争いや条約のたびに書きかえられた境界線の地図がなん枚も貼りつけてある。その数からして、スペインとポルトガルのあいだで起こった争いがいかに多かったか察することができた。ひとりで資料に見入っていると、奥の事務室からひとの良さそうな若者が現れ、声をかけてくれた。

 「よろしければご案内しますが」

 ここの責任者のようだった。この土地で起こったことを手短に教えてもらえないかと言うと、その若者は、壁の地図を古い方から順に追いながら、ゆっくりとわかりやすい言葉で説明しはじめた。

 「15世紀の大航海時代、ポルトガルとスペインは競うようにしてアフリカ西岸を下り、アジアへの航路を探し続けました。地中海航路はイタリアとトルコが制覇していたので、イベリア半島の国々は大西洋へと舳先を向ける以外になかったのです。そのいちばんの目的は香辛料と銀でした。南米に足がかりを作ったスペインは、アンデスの山々から採掘される銀をヨーロッパに運ぶために内陸のルートを確保することに専念しました。極寒の南端を船で突破するのは難しいのでペルーから北上して中米を通過するというルートもありましたが、そのあたりの先住民たちの襲撃はどうしても避けられません。そこで、このパラナ川やウルグアイ川を下るのがもっとも安全とされ、これらの川が運搬の大きな担い手となったのです。ブエノス・アイレスを拠点にしていたスペインはラプラタ川の河口一帯を思うままにしていました。そこに目をつけたのがリオ・デ・ジャネイロに拠点を置いていたポルトガルです。コロニアを占拠しようとしたポルトガルのマヌエル・ロボに対してスペインは宣戦布告しました。こうして1680年にスペインとポルトガルのコロニアを巡る紛争が口火を切り、この小さな舞台で延々と小競りあいが繰り返されたのです。そのあいだに領土権は七回も両国を行ったり来たりしました。そして、そのたびに異なった文化が流れ込んできたのです。たとえば、ポルトガル占領下に建てられた家とスペイン占領下の家とでではまったく建築様式が違います。通りを歩いているだけでもすぐに目につきますよ」

 わたしは、一枚ごとに境界線の形が微妙に変化している地図を見比べながら、彼の話にじっと耳を傾けていた。

 「ところで、ロス・ススピーロスという通りのことはご存知でしょうか」

 「いいえ」

 「ポルトガルによる最初の植民時代に建てられたムラージャ、つまり外壁のことですが、そのすぐ内側にある小さな通りです。ここはぜひ見ていただきたい場所です」

 「いったいなにがあるのかしら」

 「どうぞ、一度足を運んでみてください」