2010年12月25日

チェリモンターナの森 - III

 部屋に戻るとすぐに電話が鳴った。ローマにいるたったひとりの友人のイマコラータだ。高校で美術史を教えるかたわら建築の仕事も手がけるという多忙な毎日を送っている彼女だが、その日は仕事を早めに切りあげて、近くまで会いに来てくれることになった。わたしは、コロッセオが見える小さなカフェで彼女を待つことにした。イマコラータにはじめて会ったのは、八年前、ひとりでローマを旅行しているときだった。真実の口で、ちょうどそこにいたイマコラータに写真を撮ってもらったとき、彼女はうっかり書類袋を置いたまま立ち去ってしまった。警察に届けようかと思っていたが、封筒に電話番号があったのでかけてみると運よくイマコラータが出てくれた。彼女の事務所の番号だったのだ。翌日、わたしは彼女の家に食事に招待され、それ以来のおつきあいというわけだ。しばらくすると、麻のパンツスーツに身をくるんだイマコラータが、あのときのように書類袋を小脇に抱えてこちらに歩いてきた。一年振りの再会だ。

「相変わらず元気そうね」

「あなたも。髪型、変えたの?ショートもよく似合っているわよ」

「ありがとう。じぶんでも気に入ってるわ。カメリエーレ!」
 
 イマコラータが声をあげるとボーイがやってきた。わたしたちは再会を祝ってシャンペンを一本オーダーした。

 「数ヶ月前からマッティ広場の修復計画に参加しているの。夏休みのあいだはこれにかかり切りになりそうだわ」

 「たいへんそうね。今晩のジャズフェス、一緒にどうかと思っていたんだけど」

 「残念ながら今日も夕方からミーティングがあるの。場所はどこなの?」

 「ヴィラ・チェリモンターナ」 

 「チェリモンターナというと、そのむかしマッティ家の所有地だったところだわ。ヨーロッパじゅうから訪れるヴァチカン巡礼者のためにヴィラを開放していたらしいけれど」

 「へえ、そうなんだ。そんなところでジャズフェスというのも、おもしろいわね。ジャズフェスも一種の巡礼のようなものなのかしら」

「南米はどうだった?」

 わたしはコロニアの溜息通りの画廊のことや、ミミやフェルナンドのことについて話して聞かせた。裸婦像、娼婦宿、ヴァイオリンというモチーフが、美術史教師をしている彼女の専門知識を刺激したようだった。

 「ちょうどいま、授業でカラヴァッジョを教えているんだけど、ヴァイオリンは結構登場するわよ。たとえば、聖書の一場面を描いた『エジプト逃避途上の休息』なんかもそうよ」

 ここでイマコラータの美術の講義がはじまった。

 「ヘロデ王のイエス殺害計画を知らされたヨセフは、マリアと幼子イエスを連れてエジプトから逃れようとします。この絵は、その逃亡の途中の休息風景です。木陰には幼子を抱くマリアとヨセフが坐っていますが、その前では天使がヴァイオリンを弾いています。聖書の時代にはもちろんヴァイオリンなどありませんから、寓意的に描いたものと考えられます」

 彼女の講義は続いた。

 「ヨセフが両手で広げて見せている楽譜は、『無原罪の聖母』という聖歌だということがわかっていますが、この歌はもとは旧約聖書の『雅歌』で、性愛について歌ったものです。カラヴァッジョはなにを意図しようとしたのでしょうか」

 立てばなつめやし、乳房はその実の房のよう
 なつめやしにのぼり、その房をこの手のなかに
 乳房が葡萄の房のようで、
 君の息の香は杏のようで、
 囁きは恋人へ、エデンの花園へとながれ、
 眠れる者の唇にひそかに流れる 
 香しき酒であるように

 イマコラータはその旧約聖書の雅歌をすっかり暗記していた。

 「マリアの清純なイメージを壊そうとした、とか」

 「制作者の真意はだれにもわかないけれど、時代的な背景からすると、そんなところかしらね」
 
 その絵はわたしも見たことがあった。ヨセフやマリア、イエスは背景にすぎず、主役はこちらだといわんばかりに天使がフォーカスされている。もしかすると、これは木陰で転寝しているあいだにヨセフが見ていた夢だったのではないだろうか。無原罪のマリアが幼子と眠っているあいだ、そこに現れた天使に『雅歌』を弾いてくれとヨセフが懇願する。そして、その夢のなかでヴァイオリンを奏でていたのは、天使を装った「もうひとりのマリア」。
 
 ぼうっと考えごとをしていると、テーブルをコツコツと指で叩く音がした。

 「最近はピアノの腕も上がったわよ。こんど、ボルゲーゼでコンサートでも開こうかしら」

 数年前、突然イマコラータからピアノを習いたいと相談を受けたとき、いまからでは遅すぎるのではないかと躊躇っていた彼女に、わたしは、じぶんがやりたいと思っていることに早いも遅いもないと、しきりに勧めたことがある。すると、イマコラータは、その日のうちにグランドピアノを購入し、練習しはじめたのだ。ふだんは教師と建築家という堅い仕事をしている彼女だが、根っからのアーチスト気質なのだ。ボルゲーゼのコンサートもあながち夢ではないかも知れない。彼女ならやりかねないからだ。そんなイマコラータとの楽しいひとときもあっというまに過ぎてしまった。今日じゅうに片づけるべきことが山ほどあるという彼女を長く引きとめるわけにもいかなかった。