2011年1月20日

月待ち茶屋 - I


 薄暗い駐車場のなかで、長いあいだ停めておいた車を見つけ出すのはひと苦労だった。やっとのことで車をみつけ、エンジンをかけた。ちゃんと動いてくれて救われたような気分だ。ここから先は、高速と、さらに内陸の山あいを一時間ほど走らなければならないが、機内ではいつになく熟睡できたので眠気はほとんどなかった。わたしは、ローマのジャズフェスで手に入れたマーゴのCDを聴きながらゆっくりドライブしいていくことにした。
 
 高速を下りてしばらくいくと、街灯もなくなり、月明かりでもなければなにも見えないほどだったが、道路のわきに川が流れているのがなんとなくわかった。今日は満月なのだろうか。これから昇ってくる月が稜線を照らしはじめていた。そして、川岸のあたりには小さな青白い光がいくつも動いて見える。蛍だ。数十匹もいるだろうか。その先の道路は、アスファルト敷きから砂利道に変っていた。

 ひと里離れたところにあるこの家は、祖父が残してくれたものだった。祖父は、人形浄瑠璃の語りをしていた。わたしが学校にあがるまで親代わりだったが、その祖父も、交通事故で亡くなってしまった。家の敷地のまわりには石塀も門も造られておらず、その代わりに糸杉が植えてある。冬は冷たい風を遮り、夏は陽射しから守ってくれる。庭先に車を停めてエンジンを切ると、もう、もの音一つ聞こえてこなかった。ときおり遠くに山鳥の啼き声がするくらいだ。車から降りて身体を伸ばし、深呼吸すると、凛とした空気が肺のなかに入ってきた。ここは、夏でも暖をとらなければならないほど夜が冷え込むこともある。今夜は薪をくべた方がいいかも知れない。そんなことを考えながら厚い扉を開けると、家のなかからはかび臭いにおいがした。

 翌朝は、夜が明けないうちから小鳥の囀りが聞こえていた。眠りについているわたしの意識をどこか遠いところからここへと連れ戻してくれるのは、この鳥の声なのだ。こうして、朦朧としていたじぶんが、少しずつ周囲の空気のなかに溶け込んでいく。いまどこにいるのか、今日がいつで、何曜日なのか、思い出すのはそれからだった。

 わたしは、しばらくベッドに横になったまま、ぼんやりと薄暗い部屋の天井を眺めていた。カーテンの隙間からは、鈍い光が差し込んでいる。家のなかのなにもかもが冷えきっているようで、なかなか起きだす気になれなかったが、時計の針はすでに11時を回っていた。ようやく起きあがってスリッパに足を突っ込むと、スリッパも湿気ていた。わたしは、床に積んであった新聞を丸め、マッチで火をつけて囲炉裏の薪の下の方に押し込んだ。