2011年2月6日

月待ち茶屋 - IV

 
 それから数ヶ月たったある日のこと、海辺の小さな町のアートスペースから展示会の誘いが舞い込んだ。承諾の返事を出すと、すぐに見取図と写真が送られてきた。そこは、海水浴場から歩いてすぐのところにある古い町屋をそのまま利用していたが、通りからよく見えるところにあるので、ひと目にもよく留まりそうだった。見取り図からすると、大きな絵ならば四~五点、さらに小さなものも六点くらいは展示でき、わたしは、さっそく作品選びに取りかかっることにした。

 ノベルから知らせが入ったのは、その作業をしているときだった。あれからしばらくしてミンモの容態が急変し、いろいろと手を尽くしたけれどもとうとう天に召されたということだった。すぐに、ありきたりのお悔やみの言葉を送る気にはどうしてもならなかった。たいせつなひとを失うこと、わたしも、きっとそれを恐れている。でも、それはだれにも必ずやってくる、乗り越えていかなければならないこと。愛おしさや親しみ、思いやりを閉ざして生きていくことなんて、だれにもできやしない。それは、触手のように伸びていく身体の一部のようなものなのだ。もし、それがプツンと切れてしまえば、肉体が傷つくような痛みを感じるのは当りまえだ。ひとは、いつか切られてしまうとわかっているのに、その触手を伸ばさずにはいられない。それぞれの身体のなかに閉じ込められた状態では耐えられず、意識はそこから抜け出したがっている。わたしたちは、だれかを愛したいと思い、友だちに会って語りあいたいと思い、ひとのあいだで生きたいと思う。じぶんの殻から抜け出そうとして話しかける相手は、鏡だっていいのかも知れない。そうして、その先にもじぶんが存在しているのかどうか、常に確かめながら生きているのだ。旅だってしまったひとはもう戻らない。お互いのあいだにあった血の通うパイプラインはもうなくなってしまった。残されたものは、そのパイプラインをほかのもので満たしていかなくてはならい。ノベルはきっと、彼との数え切れない思い出でパイプラインを満たしていることだろう。記憶を呼び覚まし、思うことを、わたしは虚しいとは思わない。それは、ひとが持てるもっとも美しい力だと思うからだ。わたしは、こんどの展示会をミンモに捧げようと思った。

 その後、ノベルから一通の封書が届いた。なかには、ミンモの形見にと、彼のCDが同封されていた。そのカバーを見て、わたしには、それがミンモが描いた絵だとすぐにわかった。そこには、どこにでもあるようなごくありきたりの部屋が描かれていた。まんなかにはテーブルと椅子、その横に赤いソファと観葉植物、テーブルの上には小さなクリスマスツリーとボトルが二本置かれている。そして、そのだれもいない部屋の窓からは、教会の尖塔と三か月が顔をのぞかせていた。

 ミンモの訃報で少し沈んでいたところに、ひょっこりと訪ねてきてくれたのは、カンタロウおじさんだった。わたしのこころのなかが見えているかのように、こうして現れてくれるのがカンタロウおじさんの不思議なところだ。カンタロウおじさんは、ミンモのCDを見ながら言った。

 「ここには、なにもかもがあるね」

 そこに描かれていたどこにでもあるような部屋は、ささやかな幸福に満ちていた。ミンモは、わざわざ遠いところへ探しにいかなくても、世界を征服しなくても、幸せになるための種はじぶんのなかにはじめから備わっている。それを、ひとつひとつ丁寧に育てさえすればいいのだと言っているような気がした。

 「小さいころは、生まれた町のことより、もっと広い世界のことが知りたくて、よく外国に憧れたものだよ。この川の流れていった先、海の向こうにはなにがあるんだろうってね、そんなことばかり考えていた。でもね、こうして世界じゅうを旅してきたが、どこも同じ、世界の片隅だったんだ」

 カンタロウおじさんは言った。

 「ホモ・ヴィアトールという言葉があってね、ひとは旅びとだと言われてきた。でも、ひとは旅をしながらいつも、どこか戻っていく場所を探しているんだ」

 わたしには、カンタロウおじさんが、生まれる前にじぶんがいた場所のことを言おうとしているのがわかった。

 「生まれたときからすでに永遠への旅ははじまっている。急ぐ必要はない。なぜなら、相手は永遠なのだから」
 
 「名言だわね」

 「あっはっは。これは、偉い大学の先生の台詞でした」

 カンタロウおじさんは、そう言って大きな声で笑った。それから、わたしはカンタロウおじさんに、展示会に出す絵をみてもらった。

 「こんどのテーマはムヘールにしようかと思ってるの。スペイン語で女性という意味だけど、この言葉の柔らかい響きが好きなの」

 「こっちのは、母胎のなかにこの町が浮かんでいるような絵だね。生まれる前からこの町の風景やここで出会うひとたちのことがわかっていたのかい?」

 カンタロウおじさんは、その絵に星宿という名まえをつけてくれた。わたしは、星が宿ると書くこの言葉が好きだった。こうしてあらためてすべての絵をながめてみると、そこには母胎を感じさせるものが必ずあった。わたしが絵を描くときというのは、じぶんのなかから自然に湧き出てくるものをそのまま色と形に置き換えるだけだ。意図もなければ計画もない。そんな風に自由に描くのが好きなのだ。わたしのなかで眠っている、じぶんすら気づいていないことが、そのときは返事をしてくれるような気がするからだ。沈黙のなかで静かに生きている「わたし」が、絵を描いているときには、こちらを向いてほんの少し微笑んでくれるような気がするからだ。思うに、こうして母胎という花に形を変えて画布のなかに息吹こうとしているのは、じぶんのなかの小さな再生の力、命への憧れなのではないのだろうか。

 
 展示会の準備が終わってひと息ついたころ、茶屋の主催で、カンタロウおじさんと隣町の楽団による「紙芝居のある音楽会」が開かれることになった。茶屋では、こうした催しが満月の夜に開かれていたが、それが、ようやくカンタロウおじさんのところにも回ってきたのだ。
 
 さっそく隣町の楽団長さんと打ちあわせようということになり、わたしも茶屋に出かけることになった。その楽団長さんとは、以前、カンタロウおじさんが演奏会に連れていってくれたことがあるので初対面というわけではなかったが、こうして一緒にテーブルを囲むのはもちろんはじめてだ。茶屋で画集をめくりながら時間をつぶしているところに、ふたりが現れた。楽団長さんはもの静かで、話好きの紙芝居師とは対照的だ。いかにも音楽家らしい落ち着いた雰囲気がある。ところが、その楽団長さんが、怪訝そうにこんなことを言うのだった。

「これは、うちの団員のあいだの噂話なんですが、あの山では、満月の夜になるとヴァイオリンの音が聞こえるというんですよ」

「ほうほう、それはおもしろいですな」

 紙芝居作家の目は、いつになくきらきらと輝いている。楽団長さんは、そのまま続けた。

 「このあたりには、隠れキリシタンが多かったそうですね。ミサも、長いあいだ、どこかでひっそりと執りおこなわれていたのだとか。そして、その伴奏に使われていたのがヴァイオリンではないかと。満月の夜にヴァイオリンの音が聞こえるというのは、そこから幻想が膨らんだものでしょうね。これは、何十年も前のことですが、この町から優秀なヴァイオリニストが出ましてね。そのひとについて書かれた本に、そんなことが書かれていたそうです」

 その話を聞いて、カンタロウおじさんは、思い出したようにポケットからあるものを取りだした。

 「このあいだ、山を歩いていて小さな岩窟を見つけましてね。しゃがんでやっと入れるくらいの穴なんですが、なかはわりと広いんですよ。これは、そこで拾ったものなんですが、こんなような赤い石が地面にいくつかまとまってありましてね」
 それは、カンタロウおじさんが、いつかわたしに拾ってきてくれたのと同じ赤い石だった。ところが、そのどれにも同じような小さなキズがあるのだと、カンタロウおじさんが手のひらに取ったその石をよく見ると、確かに、なにかが彫ってある。文字のようでもあったが、それは十字のようにも見えた。

「その岩窟がミサの場所だったとか・・・」

 楽団長さんは、その石を手にしながら、そう言った。カンタロウおじさんたちは、その後も夜遅くまで話し込んでいたようだが、わたしは、この催しのちらしの絵を担当することになり、それが決まったところで早めに家路についた。