2011年2月13日

月待ち茶屋 - V

 
 それから一週間後、ちらし用の絵がようやくできあがった。さっそく、カンタロウおじさんに見せようと思ったが、長らくおばさんの顔も見ていなかったので、こちらから出かけていくことにした。カンタロウおじさんの家は、隣町の外れの静かなところにある。起伏のない平坦な土地をしばらく行くと、その先には、長閑な田園風景が広がった。

 カンタロウおじさんの庭には、ねむの木があった。この木は、夏が来ると、緑が傘のように広がり、コーラルピンクの羽毛のような花を咲かせる。わたしがはじめてこの木に出会ったのはイタリアだった。彼の地ではアルビッツィアと呼ばれているため、はじめは、それがねむの木だとはわからなかったのだが、この木は、夜になるとじぶんで葉を閉じ、それがまるで眠るようなので、眠りの木、ねむの木と呼ばれるようになったのだという。そして、イタリアでわたしが出会ったアルビッツィアも、同じようにボナノッテと囁きかけられていた。この話をカンタロウおじさんにすると、うちにもぜひにと言って、この木を植えたのだった。

「こんにちは」

「やあ、マリオちゃん、いらっしゃい」

 おばさんにと思って、ここに来る途中で立ち寄った青空市場の桃を手渡すと、カンタロウおじさんは、あそこだよと、庭の方を目配せした。ねむの木陰に、車椅子のおばさんの姿があった。わたしがそばまで行くと、おばさんの小さな声が聞こえた。

「ねんねの ねむの木 眠りの木
 そっとゆすった その枝に 
 遠い昔の 夜の調べ
 ねんねの ねむの木 子守唄
 
 薄くれないの 花の咲く
 ねむの木陰で ふと聞いた
 小さなささやき ねむの声
 ねんね ねんねと 歌ってた

 ふるさとの夜の ねむの木は
 今日も歌って いるでしょか
 あの日の夜の ささやきを
 ねむの木 ねんねの木 子守唄」

 遠い記憶のなかをぼんやりとさまよっているような、いま、ここにいないような、そんなおばさんだったが、やっぱりそこにそうしている。わたしは、おばさんの傍らで歌を聞いていた。

「ここで、いつもこうして歌っているんだよ」

 カンタロウおじさんは、ぽつりとそう言った。

「ちらしの絵ができました」

 そう言って持ってきた絵を見せると、カンタロウおじさんは、紙芝居の筋にもぴったりだと喜んでくれた。けれども、見てのお楽しみだからと言って、物語についてはなにも教えてくれなかった。

 ちらしが印刷できたという連絡が入ったのは、その三日後のことだった。わたしは、さっそく運動靴に履きかえ、茶屋へと向かった。一軒ずつ町じゅうを回ってちらしを配るつもりだったからだ。古い町並のいちばん端からはじめることにして、一枚ずつ郵便受けに入れていった。材木問屋のあたりまで来たときに、鯉のぼりおじさんのことを思い出し、家を探してみると、遠めにガラス戸の奥に鯉のぼりを吊るした家が見えてきた。呼び鈴がないので一瞬戸惑ったが、戸を横に引いてみると、開いてくれた。

「こんにちは」

 呼んでみると、奥からはーい、と声がした。鯉のぼりおじさんの声だ。

「おや、マリオちゃんじゃないか」

 暖簾をわけて玄関先に出てきた鯉のぼりおじさんにちらしを見せると、ぜひとも寄せていただくよ、とすぐに返事をくれ、上機嫌でこう言った。

「いやあ、うちも、とうとう神さまからお預かりいたしましたよ」

「それじゃあ、本当に鯉のぼり爺さんになったんですね。おめでとうございます」

 鯉のぼりおじさんのそんな嬉しそうな笑顔を後に、再びちらしを配って歩き続けたが、町じゅうに配り終わったのは、その三日後のことだった。そのあいだ、わたしはカンタロウおじさんのことを考えていた。カンタロウおじさんは、わたしにはなにも言わないが、本当はおばさんも紙芝居のある音楽会に連れていきたいに決まっている。その日がきたら、こっそり車椅子に乗せて、おばさんを茶屋まで連れていってあげよう。そうして、驚かせてあげるのだ。

 それから次の満月まで、カンタロウおじさんに会うことはなかった。